「映るはずのないもの」に気づいたその瞬間、ゲームの印象が完全に裏返る化け物インディー『IMMORTALITY』に衝撃を受けた
一瞬、「えっ?」という違和感に思考が止まり、遅れて驚きがやってくる。
「映っているはずのないもの」に気づいた瞬間、それまでの常識、そしてゲームに対する印象がひっくり返った。そんな体験をしたゲームの話です。
IMMORTALITYは、2022年に発売されたゲーム『Her Story』を製作した、サム・バーロウ氏の最新作です。
大きな特徴は実写映像が中心となっているゲームであること。
イラストでもピクセルアートでも3Dでもなく実写、人間がメインコンテンツです。
そもそも、このゲームが実写である大きな理由があります。
それは、このゲームが題材にしているのが「映画」であるということ。
アニメ映画ではありません。人をカメラで撮影した映画が題材です。
ゲームのメインコンテンツがその「映画」となっているため、実写であることが違和感をなくし、没入感を高めています。
むしろ、実写でない場合、ゲームとしての完成度が落ちていたであろうことは、間違いありません。
物語は、女優である「マリッサ・マルセル」を中心としたものとなっています。彼女は、映画3本に出演しました。しかし、その3本とも、公開されることはなかったのです。
ところが最近になって、その映画3本分のフィルムが見つかりました。
3本分の映画の中身を見ることで、そこに隠された謎が発見できる…。
そんなゲームとなっています。
ただ、この映画3本分のフィルムは、ゲームスタート時から全てを見ることができるわけではありません。
つまり、最初は断片的な映像しか見られないのです。
ゲームスタート時に見ることができるのは、ほんの1つ、2つのフィルムだけ。ゲームのプレイヤーは、次々と新しいフィルムを見つけないといけません。
その方法は、ポイントアンドクリック。
実写映画というコンテンツを題材にしていることから、特殊な操作方法やとっつきにくさがありそうに思えましたが、ゲーム性は非常にシンプルなものでした。
プレイヤーはフィルムを再生、適当なシーンで、映像を一時停止します。
その一時停止した場面。例えばそこには、主演女優や小道具の椅子、リンゴ、壁には十字架、床にはナイフが落ちていたとします。
そこで、その女優や小道具をクリックすることができるようになるわけです。つまり、映画の各コマごとにポイントアンドリックの仕掛けが設定されており、どのシーンで止めても、そのシーンで写っている人やモノを対象に、クリックができるのです。
そして、止めたワンシーンに写っている人やモノをクリックする。人やモノがフォーカスされる。
すると、その対象にカメラがズーム。次の瞬間には、「クリックした対象が写っている別のフィルム」へと、映像が移行します。
例えば、とあるシーンでリンゴが写っていたとします。そのリンゴをクリックすると、リンゴが映っている別のシーン・別のフィルムへとゲームプレイが移行します。
この時点で初めて見るフィルムであれば、新たなフィルムを発見したこととなり、以降はいつでもそのフィルム(映像)を見ることができます。
このように、映像に映っている人やモノをクリックすることで、別の映像を発見していく、というのがこのゲームの基本システムなのです。
見つけた映像は、撮影日順や映画の時系列順にソートすることが出来るので、映画そのものの流れを把握したり、時系列だからこそ読み取れる事実があったりで、同じ映像でも2つの役割を担っていました。
このゲームプレイを繰り返し、新たな映像を探していく…。数シーンの映像しかなかったものが、数十シーンの映像に増えていくことで、徐々に映画の内容が判明していくのです。
中にはリハーサルや他の番組出演の映像もあり、映画の中だけではなく外からも映画そのもの、そして映画に携わる人々を理解することが出来ました。
ただ…。正直なところ、知らない映画の知らないシーンを断片的に見ていても、特に面白くはないんですよね。
その各シーンに起承転結があればいいけれども、実際には「承の一部」「転の一部」だったりするわけで、その部分だけ見ても何も刺激は無いわけです。
そんな思いがあり、1日1時間もプレイせず飽きてやめてしまい、また次の日もちょっとプレイしてやめてしまう…。毎日少しずつ見ることの出来る映像は増えつつも、そんな日々を過ごしていました。
なんなら、実写という試みは他のゲームとは違い目を引くし、映画そのものを集めている体験は珍しいものであるけれども、ではゲームそのものとしての面白さはどのくらいあるのか…。むしろ、物珍しさだけのゲームなのではないかと。そう思い始めていたのです。
しかし、転機は突然やってきました。
なかなか新しいシーンが見つからず、いつものように映像を早送り、一時停止、巻き戻ししていたときのこと。とあるフィルムで、息が止まりました。
映るはずのない映像が、映っていたのです。
一瞬、時間が止まったような感覚になったと同時に、ゲームそのものがクリアになった印象を受けました。裸眼の状態から眼鏡をかけたりコンタクトを装着したときのような、視界がクリアになり、世界の見え方、物の輪郭がくっきりとしたような感覚。
それまでは新たな映像を探すという作業、なんとなく意味がわかるようなわからないような映画のシーンを見る作業を行っていたのですが、ここで一気に興味が反転したわけです。
今までの作業で見えていたと思ったものが見えていなかった。気づけたはずのものに気づけていなかった。
数シーンを見るのもやや退屈に感じていたそれまでの自分はいなくなり、慌てて全シーンを見返しました。
そしていくつかのシーンには明らかな異常、異変、映るはずのない映像が確認され、それによりこのゲームのストーリー、隠されていた真実が浮き彫りになってきたのです。この期間が一番このゲームに夢中になっていた時期でした。
最終的に、多くの「映っているはずのない」映像、情報を確認したところでエンディングへ。スタッフロールが流れ始めました。
正直なところ、ゲームの形式として、ミステリー小説のように「ここがこういう伏線になっていて、こういう真実でした!」と事細かに説明してくれるゲームではありません。結論として、多分こういう意味、意図なんだろう…と推測するゲーム、物語となっています。
私は9割5分以上のフィルムを集めましたが、全てのフィルムを集めたわけではありませんし、隠されていた情報も全てを把握したわけではないかもしれません。映画も、まだちょっとだけ未見の部分があるかと思います。
それでもゲームはクリアであり、スタッフロールが流れます。これについては、賛否が分かれ評価も二分されるところとなるでしょう。
もちろんエンディング以降も未見のシーンを集めることは出来ますが、一方でやはりどこまで行っても明確な答えが提示されることはない(この情報で全てです!と提示されない)と思われるため、結局は抽象的なゲームという枠を超えることはないでしょう。
個人的には伏線が張り巡らされ、それが終盤に一気に解決してスッキリするどんでん返しミステリー小説のようなゲームのほうが好きではあります。ありますが、しかしそれは過度な親切と捉えること、思考のチャンスを逃していると捉えることも不可能ではありません。
このゲームを遊んで思ったのは、断片的な情報から自分なりの答え、解釈を見つけることが特徴であるということ。
それはどちらかというと、何らかの行為というよりは「登場人物の主義や思考がなんだったのか」という部分への解釈が主となるため、正解に辿り着きにくく、また正解なのか確かめることも困難です。
しかし、その部分、「このゲームの正解はこういうことではないかと考える行為」こそ、丁寧な説明で詳細な導線のあるゲームでは省かれている部分です。言い換えれば、やや不親切だからこそプレイヤーに負担がかかりますが、その負担部分こそがこのゲーム独自の体験でもあるように思えました。
モヤモヤする部分が無いわけではないです。しかし、結論として、このゲームの印象が反転し「見えないものが見えた瞬間」と、映画だからこその演出が一番の魅力でした。騙し絵を見ていたような、間違い探しで細かな違いを見つけたような、脳が脈打つような驚き。
似た経験であれば『GOROGOA』や『The Unfinished Swan』なんかの、錯視的な要素もあるパズルゲームが浮かびました。そんな衝撃が、実写映像という明確な情報をコンテンツとして用いているゲームでも体験できたのは嬉しかったですし、いい意味で裏切られた気分でした。
人を選ぶゲームであるとは思います。ほぼ全裸に近いシーン、ベッドシーン、出血の描写もあり、ぎょっとする部分もありました。
しかし、それもそのはず。映像のリアリティをもたせ、あたかも本物の映画かと思わせられる理由は、とにかく出演者全員の演技が、非常に上手い。
調べていませんが、ベテランの俳優さんなのでしょうか、一人たりとも下手な人がいません。
映画ということで当然その映画の役者さんに目が行きがちですが、映画撮影のスタッフ、テレビ番組のインタビュアーなど、役者側ではない人々もまた、「ゲームではなく実際にあった映画なのかな?」と思わせるほどのリアルさでした。
何よりやはり主演女優のマリッサ役の方が素晴らしく、3本の映画で別人のような姿、異なる時代設定でも違和感なくマッチする演技は本物の映画のようでした。彼女を好きになることもこのゲームを好きになるかどうかの大きな要素の一つであると思いますが、その点は心配ないと思います。
インディーらしい尖った作品であることは間違いありません。やや説明不足感のある物語については、きっとAAAタイトル(多くの人に理解してもらうのが前提の作品)では許されない描写であると思います。
しかし、だからこそインディーで実現できたという裏返しにもなると考えますし、何より「説明不足だからこそプレイヤーが自分で気づく」という仕掛けが素晴らしかったです。
もちろん気づけないままゲームを終えてしまう人もいると思いますし、そこは明らかに製作者側、プレイヤー側双方の機会損失です。ですが、そのリスクを負ってでも完成させた作品であり、その仕掛けにハマった瞬間にもう沼に落ちている、尖りつつ、人を選びつつ、それでもハマる人はどっぷりハマる作品であったと思います。
もし興味がありましたら、絶対に遊んでみてほしい作品です。
そしてぜひ、ゲームの印象が反転する「あの瞬間」、鳥肌が立ち、戸惑い、しかし一気にゲームへの好奇心が何倍にもなる感覚を、体験してみてください。