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小説が書けない男の日記(2023.1.22〜1.28)


1月22日(日)
 妻の副反応はそれほどでもなさそうだったけれど、今日という日が寒いからなのか副反応のせいなのか、寒気がするようで、私があにちゃんとおととを連れて図書館へ。あにちゃんの絵本を借りつつ、通りがけにたまたま見かけたイアン・マクドナルド『時ありて』を借りてみた。フォークナーの後に小休止的にSFが読みたくなっている。『地図と拳』はその次かな。
 小説を書こうとGBLを2セットで切り上げたものの、何の気なしに探したスーパーマリオRPGのRTAがあってそっちを見始めたところ1時間があっという間に経過していた。

1月23日(月)
 明日明後日と重要な仕事で、その準備やら会議やらで帰りが21時を少し過ぎてしまった。でもあにちゃんが待っていてくれて、最初は嫌がったものの、最後はぎゅっと抱きしめてくれてそれだけでなんだか幸せを感じた。
 プレッシャーやら緊張やらがすごいけれど、何事もなく無事に終わって欲しい。
 行き帰りの電車でフォークナー。

 バディは暗闇の中で、むらのない、穏やかな寝息を立てている。ベイヤードには自分自身の呼吸音も聞こえていたが、それよりも大きく、それをすっかり取り囲み、彼を包みこむようにして、もう一つの呼吸音が聞こえてくる。あたかも、彼はおさえつけられた苦しいあえぎ声を出しながら呼吸している、一つの存在となったかのようだった。それはバディの呼吸にあわせて呼吸している彼自身の内部にあり、空気が使いつくされてしまっているので、その小さな存在は空気を求めてあえがねばならないのだ。一方、大きな存在は、深々とした、むらのない呼吸をしていて、いつの間にか眠っており、遠く離れていて――そう、たぶん死んでいるのだ。それで彼はあの朝を思い出し、張りつめた気持ちで、とり憑かれたようになって、それを再び経験した――最初の曳光弾の煙を見たときに始まり、炎がジョンのキャメルの機首から華やかにはためくオレンジ色の長三角旗のように噴出し、それから弟のいつもの仕草を、そしてその飛び出した体が空中で平衡を失い突然不格好にだらしなく広がるのを、急激に横滑りしている自分の機体から見るにいたるまで、彼はこうしたことを、印刷され、何度も読まれている物語を読み返すようにして、あらためて再体験しながら、まさにその瞬間に彼の命を奪ったかもしれない弾丸が彼の肉体か頭を貫くのを思い出そうと、感じようとした。そうであれば、辻褄があい、いろいろと合点がいくことだろう――彼も死んでいて、ここは地獄なのだ。その地獄を、すばやく動いていると錯覚しながら、未来永劫、弟を捜して動きまわり、弟の方もどこかで彼を捜していて、二人は決して出会うことがない。彼は再び仰向けになった。トウモロコシの皮が彼の下で、乾いた、嘲るような音を立ててささやく。 

ウィリアム・フォークナー『土にまみれた旗』(諏訪部浩一訳、河出書房新社)pp. 455-456


1月24日(火)
 大きめの仕事1日目終了。いろいろあったけど大惨事にはならず。明日も何事もありませんように。
 帰る頃には凍てつく寒さで、大寒波が翌朝をどんなことにしてしまうのか興味深くもある。とりあえずこれからこの家初の水抜きをしないといけない。うまくいくだろうか。

 帰りの遅い私を心配してか、あにちゃんが「どこにいるの?」と泣いたらしく、帰ってきたらたいそう嬉しそうにしている様子に鼻血が出そうになった。明日は早く帰ろう。

 フォークナーもそろそろ終わってしまう。次は何にしようかな。

1月25日(水)
 大きめの仕事2日目無事終了。それよりも何よりも雪がものすごくて、昨日結局できなかった水抜きに苦戦して寝たのが1時近くでその前に外を覗いたら寒いだけで雪は降っておらず、朝6時に起きたときには一面真っ白で数センチ積もっていた。積もっていく様を見たかったような気がした。職場についてもずっと吹雪のような感じだった。

 早めに帰宅できてあにちゃんとおおとととたくさんふれあうことができた。明日は自転車はきっとダメなので、ベビーカー登園になりそう。がんばろう。

 フォークナーの次は借りてきたマクドナルドか伊藤亜沙『どもる身体』かな。


1月26日(木)
 かっちかちに凍り付いた道をあにちゃんを乗せたベビーカーでゴリゴリと進んだけれど、坂道でタイヤも足も空転するように進まず、下半身が朝で営業終了となった。
 朝、あにちゃんがトラックを見て、「あのネバネバしたのなに?」と妻に尋ねたそれは氷柱だった。子供の、あにちゃんの目には、垂れ下がる氷柱に粘性を感じるようだった。おもしろかった。

 フォークナーがもうあとほんの数ページなので読み終えて寝よう。腰が痛い。

1月27日(金)
 昨晩フォークナーを読み終えた。傑作というよりかは力作といった感じで、読み始めて最初の頃にも書いたけれど、一つ一つの文章の密度がすごかった。その濃密な文体で、小説というか「南部」という世界を作り上げた、そんな感じだった。あとはやはり、コーマック・マッカーシーに通ずるものを感じた。風景描写がまさにそうで、自然の持つ豊かさや奥行き、そして自然への尊敬の念のようなものがあったのではないか。おそらく今年中にもう一つはフォークナーを読むような気がしている。
 次はいったん小休止にして借りてきたマクドナルド『時ありて』を読む。

1月28日(土)
 午前は町内会の集まりがあって、その間3人はノビスクに行っていた。1時間少しで終わって買い物に行ってお昼ご飯に焼きそばを作っていると3人が帰ってきた。晴れていたのに雪がもっさりと降ったと妻が言っていたけれど窓を開けてみると青空があるだけだった。寒かった。
 3人が1時間半ほど昼寝している間『時ありて』を読んでいた。SF小説なのだろうけどそこまでSF感が強くない、むしろミステリーみたいな雰囲気で今のところ進んでいるようだった。これから怒濤の展開でもあるのだろうか。150ページほどの短い小説だけれど、マクドナルドは初めて読む。

 明日は整体。


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