見出し画像

小説が書けない男の日記(2023.1.29〜2.4)


1月29日(日)
 あにちゃんの服を新調しに西松屋に行こうと数日前から話をしていて、今日私が朝から整体でその後合流できたらなんて話しをして、整体へ向かった。まだまだ道路が凍っていて、徒歩。妻曰く、15分くらいじゃない?とのことで15分前に出てみたが5分ほど歩いたところで、「このペースでは間に合わないな?」と気づき慌てて早足に変更。結局予約の1分前に到着。終わって、地下鉄車内で3人に合流してその話をしたところ、「そういえば走ったりもして15分だったかも」とのこと。徒歩の場合は20分前に出よう。
 それで西松屋に向かうことにして、だけど私とあにちゃんは近くの大きな公園で遊んで時間を潰すことに。とはいえ先週の雪がまだまだ残っていて他に人は誰もいなかった。あにちゃんは気をよくして、滑り台が濡れていることがわかっても「あっちのにする!」と少し離れたところにある別の滑り台に元気よく走りだしたのだった。とはいえ寒風吹き荒ぶ中であにちゃんの鼻から鼻水が顔を覗かせたので西松屋に向かった。妻とおととと合流して店内を見ていると、同僚一家に偶然会った。旦那さんが私の高校の同級生で、とはいえ高校時代に話したことは全くなく、今日初めてお会いしてみてもやっぱり「はじめまして」が正しかった。とはいえ同じ文系だったみたいでとなりのクラスだった可能性が高い。西松屋に来たのはたぶん夏ぶりくらいだったけれど、そんな日に偶然会うなんて、偶然ってすごい。

 マクドナルド、もうあと数日中に読み終えそうで、やっとSFっぽくなってきた。

1月30日(月)
 念のためのベビーカー登園だったけれど、朝、遅れそうになって少しイライラしながら準備をしていたらそれがあにちゃんに伝わってしまったのか不機嫌で、道中、大泣きしてしまった。妻と行きたいと泣くあにちゃんをなんとか保育園に連れていって先生にお願いして泣いたままのあにちゃんだった。そして電車に向かう途中で自己嫌悪にひたりながら妻に電話で報告した。
 明日から早起きしよう。早起きすれば遅刻の心配もない。がんばろう。

1月31日(火)
 早起きして準備したものの、あにちゃんはやっぱり妻と一緒に行きたいと言い出し、結局4人で登園。保育園の中の準備を妻がやってくれたので遅刻はしなかった。明日はどうなるんだろう……。
 『時ありて』を読み終えた。個人的に微妙で、センチメンタルで終わるのがどうも、というかSF味が少なくて思っていたのと違った、というのが正直なところ。どちらかというと叙情的なSFよりは叙事的なSFが好きというのもあるかもしれない。とはいえ量子力学はやっぱりおもしろそうなので、今年読めたら何冊か読みたいところ。
 次は伊藤亜沙『どもる体』にしようかなあ。

2月1日(水)
 今朝はあにちゃんと二人で家を出ることに成功……したものの、途中で、家に帰る(帰らない)、保育園行きたくない(保育園行きたい)の大荒れモードに。こちらもイライラしてしまって、「じゃあもう家帰るね!」と伝えて大泣きの状態で5分ほど家までの道を戻って、「保育園行きたい」のほうが強くなったところで、再び翻って保育園に向かった、その前に少し強めに怒った。その後は順調で無事登園できたものの、本当にあの対応でよかったのかわからない。難しい。アンガーマネジメントとか言うけど、そんなご立派なこと考える余裕なんかない。

 それで帰りは本当にイライラしてレジスチルのレイドアワーがてら丸善へ。芥川賞となった『荒地の家族』、長谷敏司の『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』、『仙台短編文学賞作品集 2017→2022』を買った。

 伊藤亜沙『どもる体』が読まれ始め、冒頭10ページほどを読んで「これに決まり!」となった。おもしろそうだ。

 自分のものであるはずの体が、まるで自分のものでないかのように、勝手にしゃべり始める。スムーズにしゃべっていたと思ったら、不意に頑としてこちらの意図を受けつけなくなる。
(中略)
 本書のテーマである「どもる」とは、そんな「体のコントロールが外れた状態」を指します。自分のものであるはずの体が、不意に自分の手元を離れていく。そんな「体がはぐれていく」瞬間です。

伊藤亜沙『どもる体』(医学書院)p. 11

  明日は久しぶりに自転車登園できるといい。

2月2日(木)
 まさか夜明けに雪が降るとは。自転車登園叶わず。と思っていたら、ここ数日のあにちゃんの様子から、妻が今日保育園休ませることを決断した。あにちゃん、相当ストレス溜まっているのだろう、と思いつつ、一日ワンオペにしてしまうことに申し訳ない限りだ、と思いながら出勤した。

 帰り、あにちゃんのおむつを探しに帰り道を少しはずれたところにあるドラッグストアへ。品薄、という報道は耳にしないけれど、おむつの棚がなんとなく寂しい。とりあえずあにちゃんの普段用のおむつは確保した。夜用が見つからない。

 家に帰ってきて妻に労りのお土産をいくつか渡した。疲れているのがわかる。申し訳なさが募る。とはいえ仕事は今がまさにかき入れ時というか繁忙期でなかなか大変だった。

 スマホの充電ができないやばい!!!!!スマホなのか充電器なのか、壊れたのはいったいどっちなのか……頼むから充電器であってくれ頼む。

2月3日(金)
 あにちゃんは保育園の節分の鬼が怖いんだそうな。今日もお休み。今日で鬼は外へ追いやられることだろう。児童館の節分イベントに行ってきたらしい。20時過ぎに帰ってきた私も一時的に鬼となって退治された。

 金曜日で、ほんとうに疲れて、だけどあにちゃんが泣いたり突然フリーズするポケモンGOに切れたりしていたら1時過ぎてしまった。もうだめだ。この習慣ほんとよくない。

 あ、充電器は昨日の日中におととがプラグをベロベロしてて濡れたのが原因ぽい。今朝は乾いたのか無事充電完了。

2月4日(土)
 今朝方、あにちゃんが突然吐いたみたいで、保育園で胃腸炎が流行りだしたというお知らせが来たのを思い出して、もしかして?と不安になった。木曜金曜と休んだものの、潜伏期間とかどれくらいなのだろう?夜泣いたのもきっと気持ち悪かったからなのだろう。
 そして朝ご飯を食べた直後にもまた吐いて、様子見で午前中は家で遊んだ。昼ご飯は蕎麦を作ったところすんなり食べて吐くこともなく、そのまま昼寝をたっぷりした。なんか大丈夫そうな気がするけれど、油断してはいけないし、こちら側にも感染するかもしれないから、祈るしかない。寝るのはあにちゃんと妻、私とおととがリビングで寝る。寝息を立てるおととのそばでこれを書いている。ポケモンGOも勝てないのでさっさと寝ることにする。ジョジョを2巻まで読んだ。こんなに胸熱だっただろうか。とてもおもしろい。

 これらしゃべることにかかわる漸次的な調整のプロセスを、本書では「発声器官のモーフィング」と呼びたいと思います。
 「モーフィング」とは、コンピュータ・グラフィックスの技術のひとつで、あるものをなめらかに別のものへと変形させていく手法。みなさんも、コップがいつの間にか瓶に変化したり、マリリン・モンローの顔がモナリザにすり替わっていくような映像をどこかで見たことがあるのではないでしょうか。あそこで使われているのがモーフィングの技術です。
 発声のプロセスも、声道をある形から別の形へとなめらかに変形させていく「モーフィング」の作業だと言うことができます。それはいわば、みずから形を変え続ける管楽器のようなもの。「空気の流れ」という中身をあやつるために、「発声器官」という容れ物の形を変えているのです。コーヒーを注文するときも、家族と冗談を言うときも、私たちは体の一部をコンマ秒単位でモーフィングしながら、しゃべっているのです。
 

同前p. 55



いいなと思ったら応援しよう!