皮肉屋は知能が低いのか
以下の記事が話題になっていた。シニシズムは高い知能と関連しないという趣旨の記事だ。
このタイトル付けが悪質で本文中に皮肉屋に関連した話は殆ど出てこない。シニシズムの皮肉主義と皮肉屋が同じ字面だったので注目を集めるために関連付けただけである。記事において他者の行動を「自己利益に突き動かされている」と見なすことをシニシズムと定義づけているが、これから皮肉屋を連想する人はほとんどいないだろう。
皮肉とは相手を遠回しに意地悪く非難することであり、皮肉屋はそれを発言するのが好きな人である。むしろ鋭い洞察力と高い言語能力があるように思われる。
記事の重要な部分
例外として、その人がいる国で汚職が多かったり法律が欠如していたりといった文化的背景があった場合に、「シニシズム」と「高い知能」が関連していたそうです。
これは当たり前の話で、周りが自己利益で動く人が多い環境でシニシズムのような価値観を持つということは正しく現実を観測できているということである。逆に周りが自己利益のみで動くわけではない環境にいる人がシニシズムの価値観を持つということは現実を正しく観測できていない。
これは価値観が能力に与える影響という話ではなく、現実を正しく認識できる能力がある人は様々な能力が高かったということではないか。
日本ではどうなのか
シニシズムの定義が他者の行動を「自己利益に突き動かされている」と見なすことであるが、真っ先に思い浮かぶのが現在の主流派経済学だ。
経済活動を個々人の私利をめざす行為に任せておけば「神の見えざる手」により社会全体の利益が達成される。などが典型的だが日本で経済学を好む人はシニシズムの価値観と相性が良いように思う。(アダム・スミスは言ってないという説もあるが)
世界で唯一デフレに苦しむ日本を動かしてきたエリート達は例外的に現実を認識できないシニシズムでありながら高い能力を持っているような気がする。
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