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限り無い攣を束ねて〈Ep3-2〉

    Ep3-2

 ガラテアは憐れな少年だ、顔を思い出した少女は思った。でも、どの様に憐れなのだろう、彼の何を悲しめば良いのだろう?嘗て私は顔を失った、失顔の私には尊厳が無かった。もしも、同じ様に顔の無い女の子が私の前に現れたら、私はその子を憐れむだろう。だけどガラテアには肉体がある、美しい顔もある、ただ持って生まれた宿命が悲しいだけだ。
 顔を思い出した少女は美しい瞳で発光する太陽が水平線を滑るのを見ていた。それは沈む事も無く、空中を彷徨っている。
 私は私の顔を思い出してしまった。男性は私を見て性的夢想に耽るだろう。男性は卑しい、だが彼等が卑しいとしたら其処に写り込む私も卑しいのか?私は彼等を蔑んでいるのだろうか?ならば私は卑しさを肯定出来るだろうか?もしも、誰かが私の事を卑しいと思っていたら、私はその者の前から逃げ去るだろうか?いや、私は私の顔を失い見出したのだ。見出した顔を失いたいと思う事はそもそも卑猥な事だ。
 彼女は鏡を見てその美しい唇に紅を引いた。
 私は何時から男の淫らな欲望を知っているのだろう?《或いは自分の欲望の淫らさを知っているだろう》でも、卑しいとか淫らと云いながら其処に誰かを巻き込みたいと私は思っている。誘惑して私の顔を奪って欲しいと思っている。そして、私は閃いてしまう、あの無垢な少年ガラテアに私を奪わせてみようと。
 彼女は化粧を終えると本を開いた。
 私の秘された表皮から表裏を奪う快感を如何なる限界にこすり付けるのだろう?私が着衣の時、シルエットは一つだけ、私が裸の時シルエットは一つだけ、けれど、着衣は裸を包み込んでいる。ああ、あなたの為に太陽を沈めたい。彼は誰かの顔を奪うのは初めてかも知れない、彼女は思った。
 彼女は顔を奪わせる方法を本で読み何度か一人で試してみた。
 雨の中で傘を支えていた男の様にガラテアも奪われる顔に恍惚とするだろう。
   ×
 明る過ぎる室内に、奇妙な沈黙が立ち込めている。成山日葵は無心に作業をしている。安物のアクセサリーにチャームを付ける作業だ。彼女はアクセサリーにも作業内容にも興味無さそうに続けている。作業に飽きて来た利用者の幾人かが雑談を始め、パソコンで作業をしている一人が冷たくそれを注意した。
 どちらにしても退屈な作業なのに、それほど真剣にやる必要が在るのだろうか、日葵は思った。
 成山日葵は退院後作業所に通い始めた。今は研修中である。《就労支援施設B型「サトゥルヌス」である》作業所は何処も定員一杯で、希望する様な場所には行けない。然し、日葵は特に何かを希望しなかった。退院は特に理由が無く唐突で、本人からしたら何を治療され何が良くなったのか判らない。あるとしたら薬の副作用であるが、それは退院しても続いていた。光が妙に眩しくなり、だるく思考が遅くなった気がした。退院して区のソーシャルワーカーと面談し、「社会復帰の為に作業所に行きましょう、就労して健康な日常を取り戻しましょう」と云われた。彼女は直ぐにハローワークに行き、登録して仕事を捜し始めた。障害者雇用には登録出来ていない、行政の事務手続きは早急には動かないのだ。一応、一通り履歴書を出したが、書類選考で落とされた。平行して保健所で面接も行われ、其処で紹介された作業所を幾つか当たった。
 ついこの間まで主婦をしていたと云うのに急に仕事をしなければならないのは何故だろう、彼女は思った。暇を持て余すのは不健康なのかも知れない。でも、私はやりたい事がある、セックスだ。《つまり、その様なあなたの思考を阻みたいのだ》
 《彼等はあなたを飼い慣らしたいのです、獰猛な獣を薬物とパターンでコントロールしたいのです。ですが、あなたは支配されない人間だったでしょうか?寧ろ殆ど支配に無自覚でいられた市民でしかありませんでした。ですが、あなたは戻れません。この世がこれほどに喜びに満ちていると、はっきりと、知ったあなたがその肉体を脱ぎ捨てる事は無いでしょう》
 場所は区内の交通の便の悪い所のテナントの一室である。作業用の机と事務用の机が便宜的に並べられている。プレハブの様で彼女はドラマの撮影風景を思った。すべてが張りぼての様に見える。作業内容は内職の様なものである。職員が様々な所から外注を貰って来てそれを片っ端から片付けて行く。納期は緩く、最終的に間に合わないと職員がそれを片付ける。内容は主に袋詰めや、今日の様なアクセサリーの組み立て、商品の包装、絵画用のキャンバスの布張り等でだ。作業時間は午前二時間午後二時間、昼食の休みが一時間、他に一時間に一回十分の休憩がある。昼食は自腹で、交通費は出ない。時給は基本給180円で技能手当を加算して最高400円を超えない。
 とても退屈な仕事だ。日葵は思った。指先が不器用な人には不向きだし、器用な人にとっては簡単だ。アルバイトもした事が無い私からしたら初めての仕事だが、社会がこんなに無意味な事を求めているとは考えもしなかった。でも、これより増しな仕事に就く事は出来ない気がする。学も無く、社会経験も無い私には何も与えられない。どうして私は作業をしなければならなかったのだろう?《フーコーによれば狂気とは、仕事、家庭、言語、遊びにおいて異なる行動を取る》
 所内に居るのは主に中高年の男女で、ぱっと見て判るのは知的障害者で他は精神障害者だ。《精神障害と云うが、人格障害等も含むと多様だ。あなたはそのすべてを知らない》また、身体障害者は此処には居ない。階段がありエレベーターが無い為だ。視覚障害者も聴覚障害者も居ない、点字や手話の技術が無い為だ。
 誰かが注意を受ける、注意された人が冗長な云い訳を云う、だが誰もが行く先を知っている。此処は袋小路で泣き寝入り以上の事が起こらない。他は概ね静かであるが、根本的にコミュニケーションが無い静けさである。
 この中で私がセックスフレンドを捜すとしたらどうするのだろう?日葵は思った。まあ、そう云う事は無いだろう。誰しもお金に困っていて、場所も発想も無いのだ。女性はどうしているのだろう?多分、自分で自慰行為をするか、性欲を抑えつけ無かった事にする。障害者向け射精介助サービスはあるがすべて男性向けだ。恐らく、そう云う会話すら起こらない。《いいえ、あってはならないのです》私は官能的な猥談を彼等に語り掛けたい。あなた達には性的な喜びを享受する余白があるのだと云いたい。《何とあなたは残酷なのだろう、誰もがあなたの様に美しい訳では無い。若さも美しさも無く、職も無い人々に性的な可能性をチラつかせるなんて》つまり、そう云う事だ、私はエロティズムを愛している。どれほど冷酷で残酷でも構わない。私達はどんな夢を見て希望を描くべきだろう、日葵は思った。私にも彼等にも可能性の余白はある筈だ。だが、周囲の人々も家族も、私達が静かに何事も起こさず穏やかに死んで行く事を望んでいる。その穏やかさは別の意味で狂気だ。何もしないと云うのは或る種の死だ。私は西城戀の事を身勝手な主義者だと思っていた。でも、彼女が反抗しているのはこの様な人々が居る事を見抜いている。エロティズムを手渡すと云うのはデリカシーに欠けるだろう、だが、エロティズム程に肉体の内側にあるものがあるだろうか。彼等を言葉で喜ばせる事が出来たらと思う、でも、私ならセックスフレンドに抱かれに行く方を選ぶ。怒りが突き付けられる、これは私の怒りだろうか。でも作業中に私語を述べたり出来ない。無価値な作業が、御前が無価値だと述べている。《だが、それは世の多くの人が体感している自らの無価値さです》ああ、私は如何なる瞬間に絶頂を得るだろう。

 真糸は本を開き、それを無心で読んでいる。彼女が読んでいるのは「灯台へ/サルガッソーの広い海」である。波留磨には彼女が何を考えているのか判らない。それは台風や夏の烈火の様に意識を超越した何かにすら思える。
この表紙は水縹色と云えるだろうか?彼は思った。同時に波留磨は西城縹(さいじょうはなだ)の事を思い出した。

 或る雨の日、波留磨と縹二人は音楽室で出くわした。波留磨は友人を捜して縹はピアノの前に座ってショパンの練習曲を演奏していた。
 器用だとは思っていたけれど上手いものだ、波留磨は思った。きっと女の子はこう云うのを好む。そして、彼はピアノなんて素養ぐらいにしか思わないのだろう。
 波留磨は演奏が終わると小さく拍手をした。
 「縹色と云うものがあって、まあ、水色の様なもので、それを気に入って名前にしたらしい。亡くなった両親は日本の古典芸術が好きだった。でも、一つも思い出せないよ。余り年月は経っていないのだけど。薄情なものだな」西城縹は波留磨のクラスメイトで、メガネをかけていて、ひょろりとした男子だ。両親を亡くして、今は養子に出され、今の親と暮らしている。
 「波留磨って、余り本とか興味無さそうに見えたよ。どちらかと云うと体育会系でスポーツばかりやっている印象だった」
 「別に、スポーツも熱心にやっていない」
 「僕はスポーツの何が面白いか判らない。何をやっても上手く出来ないからかな、熱中出来ない。本に造詣が深い訳でもないよ。そう云う演出なんだ。メガネを掛けていると文系っぽく見えるからね」
 「実際、造詣が深い」
 「そんな事ないよ」彼は微笑して云った。「ちょっと器用なだけだ」
 「なあ、どうして自分の身内のAVなんて渡すんだ?」波留磨は尋ねた。
 「彼女がそれを望んでいるから」
 僕等の〈言葉と精神の膜〉は奇妙だ、波留磨は思った。特にセクシャリティに付いては殆ど伝えられる事がない。戀さんは確かに美しく艶やかだ。でも僕の心に刺さっている女性ではない。縹はそれを確かめたかったのだろうか?同時に真糸でもない。真糸は何処かでそれを知っている。でも、言葉で確かめたりはしない。仮に、どう云うものに興奮を覚えるのかを言語化してそれが或る程度の正確さを持ったら、それが彼女の自尊心に影響する。僕等は鏡だ。
 「嫌な雨だな」波留磨は云った。
 高校三年の夏、進学へ向けて各々孤独になる時期である。
 「僕は美術の道に進むよ。知っている、とても険しい。SNSで知り合った作家さん達は殆どが苦労している。そもそも日本の中には美術の需要が殆どないのさ。でも、僕には描きたいヴィジョンがある。変だな、良く知っていて嫌いな人と同じ様な事を云っている。僕は女性が好きだ、正しくは愛する女性像がある。でも、それをエロイカで描くべきかエロティズムで描くべきか、判らない。本当は女性なんて好きでは無いのかも知れない。でも、これは云える、今はそれしか考えられない」縹は云った。
 「女の事で悩んでいたのか。まあ、君は綺麗だから、そう云う悩みもあるのだろう。僕は特に目的も無く大学に進むよ。だって何も知らない。そして、何も知らない連中とつるんで慰め合うんだ。女を抱いて、生きる事は虚しい、とか云って四年間を無駄にする。髭とか濃くなってきて、今日みたいな事を思い出す。女の事は判らない。上手く話せないし、話す切っ掛けが無い、話すべき事はきっと沢山あるのに。多分、僕が馬鹿なんだ。だって何から話せば良いか判らない」
 「今、きっと誰かが自殺しようとしている。或いは今息を引き取ろうとしていて、生涯を後悔している。それが自分だと思うと、とても切ない。残念だなんて思わない。僕等は死ぬのだから。でも、きっとその人は若くて、生きる事を楽しめなかった。僕がその人を止めるとしたら、きっと愛に付いて話すだろう。僕は恋愛経験とか余りないけど、愛する人、それが男であれ女であれ、その人と無心で抱き合う事が大切だ。そして、きっとその中にトラブルがある。関係を維持するのに様々な問題がある。そして、セックスだけでは満足できなくなる。そうやって年老いて行く」
 「多くは、君の様に美しく無いから苦労する。君は女にもてるだろう」 
 「もてるって奇妙な言葉だ。だって大抵の男は女にふられる。完全無欠の男性像は無い。それに、意中の人を抱けるとしたら、それはきっともてるって事だ。僕は、女性の美しさを様々な姿で描きたい。だって、きっと様々な美しさや愛らしさがある。美形がすべてじゃない、と云うより僕は美形の女性がどうしても好きになれない。女神の様に美しい女性も、悪魔の様に官能美に溢れた人も、何処かしっくりこない」
 「なあ、村上春樹の主人公って何であんなに理由も無く女にもてるのだろう?きっとあれは読者の好感を落とすぜ」
 「判らなくもない。でも、一人の人と恋に落ちるって上手く言葉に落とし込むのが難しいのさ。そして、理由も無く女と寝られる時期ってある人にはあるのではないかな」
 「羨ましい限りだよ」
 「君だって、真糸が居るだろう」
 「きっと上手く行かない」
 「なあ、この世ってまだ余地があるのかな?」縹は尋ねた。「ああ、何かが生まれる余地だよ。何か新しい事、何か面白いもの、何か幸福な瞬間、或いは稼ぎになる仕事、何でも良い、余地があれば。でも、この世はそれが出来る限り言語化されている気がする。学問の余地がないと云う事では無い。予感みたいなものだ。殆どの事は大人が予言している。SNSで人が試している。試してみても失敗している。人の賛同を得られない。素晴らしい事なのに喝采されない。僕等は実に間違った判定の上に生きているのではと不意に思う。そんな僕等に余地なんてあるのか?」
 「御前が考えれば云い。見付けたら僕に教えてくれ」
 「勝手だな。でも、きっと考えない方が正解なんだ」
 不意に、波留磨は縹に口付けをした。「いや、考える方が正解だ。御前が描くエロイカとやらに、余地があったら僕も置いて欲しい」
 「きっと、男が余地を得るとしたら、男以外の人々の余地の方が先だ。男が無心に一つの穴を掘る事で得られるものは無いよ。そんな風に想像力を狭くしても進めない」
 波留磨は何やら責められている気がした。

 確かに僕等は無力だ。夢を見る権利すらない。そして、考え行動すべき余地を見逃している。でも、僕を責めてどうしようと云うのだ。いや、彼は別の何かを思っていたのかも知れない、波留磨は思った。取り柄が無い様な顔をしているが、結局は有能な奴なんだ。
 彼は氷が溶けかけている水を口に運び、真糸を見た。彼女は静止した時に閉じられたように美しかった。時々、長い髪がとける様に落ちて来て、それを耳に再びかける仕草すら、彼には閉じられている美しさに見えた。
   ×
 私の初めてに相手は気付かなかった。《私初めてだよ、と云うと相手は苦笑してそれを否定する》私は日常的に自慰の時、指やバイブを入れていて、痛みや出血が無かったのだ。それでも初めては初めてだ。私は美しい少女だった、猫の様な目がチャーミングで白く冷たく我儘で奔放だった。然し、人に美しいとは云われなかった。私は自分が美しいと主張した。自分が可愛いと主張した。だが、それが芯を食えば食う程に周囲は認めなかった。《自分で云うのって寒い、と無根拠に平気で常識を振り回す方々が群の殆どだ》私は孤独で寂しい少女だったのだろうか?仮説を立てよう、私は承認欲求が強く、人に美しいと云われないと自覚出来ない程に自らを過小評価していただろうか?否。私は自らの美しさを主張して誘惑者になった。だが、自らの美しさを鏡に写さないとしたらそれは美的な不感症だろう。《故にあなたは無垢な少女では無く、生意気な女、魔女として最初からあり、疎外されていた》そして、私は私の美しさを作品にする事にした。
 作ると云う作業は私を恍惚とさせた。私は自らの美しさから解離し、美しい作品へ意識を向ける事が出来た。誘惑は新しい快楽を発見した。そして、作ると云う事は他者に頼らない事だと理解した。《愛そうとすると、すぐさま愛されたいと望む》自らの有様を他人の視線で感じてしまう。《積極的行動や思考は自らの内で打ち消される》介入するのではなく、自らに介入させる意欲だ。それは孤独になれない孤独だ。だが作る事は鏡像と自己像との外に出る事だ。美しさの追求を俯瞰する事だ。
 私は作り始めてやっと自分が見え、其処から逸脱する技術を手に入れた。《詩人が韻を踏む様に》それは音楽で云う即興性だった。《だが、それに気付いたあなたが見渡す人々、クラスメイトは未だに白痴の純粋さの中にいた》私は鏡を通して殺される、相手を殺す事で自らを殺している、だが、逸脱は美しさによって持続性へ、主旋律へ、帰って来る、丸で収束する曲線の様に。或る人は私を酷いナルシシストだと罵った。だが、奇妙だ、かく云う人々も自らが美しくあってくれたらと願っている。可愛い子ぶって御洒落をして化粧をする。如何に無自覚な誘惑者になろうか悪戦苦闘している。私は自分の美しさを美しくするのに寛大なのだ、何故なら芸術家であるから。私は自らを美しいと云えるし、主張出来るし、快楽を求めている享楽家だ。ねじくれた湾曲表現で自己愛を追及したりしない。これは尊厳であり、狂気であり、健全さだ。
 《ですが、あなたは人々と対立する暇もなくアウトサイダーになりました。黒板に生殖器の写真を貼り、自らの性を写真に収め、その手法の模索に夢中になりました。雑音は遠のきます、ですが、あなたは孤独になりました。最初から孤独な人がそれに慣れるのと同じく、あなたは孤独な異端者でありました》 
 彼女は何時の間にか眠っていた。目覚めは性交の始まりだが、今日は森で目覚めなかった。荒廃した街でも無く、目の前には太陽が滑る海が見える。永遠と太陽、アルチュール・ランボーの世界だ。だが、其処は奇妙にディフォルメされている事に彼女は気付いた。余りに凡てが懐かし過ぎるのだ。
 「或いはあなたの懐かしさでは」少年ガラテアは云った。彼は浜辺を沿って通っている国道をマネキンの腕部の様なものを振るいながら立っていた。背後には巨大な風力発電用の風車が轟音を響かせて回っている。
 私の懐かしさ、いや、違うな、これは私の懐かしさではない、彼女は思った。だが、私は何を望んだだろう?何を求めて魔女になったのか。或いは、魂を買う悪魔になったのか。やれやれ、自問の仕方が稚拙だな。私は目的を持たない筈だ。
 「でも、時に自問してしまう」
 自問しない女は無能だ。自壊出来ない女は使い物にならない。でも、こんな作りものみたいな感傷を大切に思うのはどう云う心象なのだろう。
 「少年は或る日、自殺した友人をもった。幻想の中に幻想の友人を持った。彼は孤独だった。有り触れた孤独感で姿が無いより増しだ。友人は破滅的な傾向があった。家出を繰り返し、誰かに相談する言葉を思い出せなかった。少年は彼と詩を通して対話しようとしたんだ」
 「センチメンタルですね、でも、タナティックに過ぎる。自傷的美しさとは、自らを美しいと叫べない幼さです。太陽も月も追い駆けてはなりません、それ等は君を追っているのですから」
 「少年達に自らを美しいと云わせたいの?」
 「ああ、それは少女のやり方とは違うでしょうか?」
 「あなたは結局ガラテアを作らなかった。どうしてだろう?あなたなら思いのままのガラテアを作り上げ、思いのままに育てられると云うのに」
 「人形の御飯事も悪くありません。でも、私を写すものは無垢な鏡でも白痴の性でもないのです」
 永遠は自殺する愛、海は押し寄せる虚無だ。一瞬だけが逸脱出来るが故に収束する。
   ×
 戀は縹が打ち上がるのを感じていた。彼は達して彼女に抱き付いている。戀は彼に口付けをして、鞄に手を伸ばしタバコの箱を出した。
 セックス中に哲学を問うのは熱中していない証拠、と思う人がいるだろう、戀は思った。だが、セックス程に哲学的な行いを人はしない。それは家族と云う幻想を成したり、禁忌を作り、人の行動を制約したり、行動の原理となる。持続性を成し、且つ、其処から逸脱している。其処には不可解な自我があり、社会があり、それは崩壊しつつ再生している。だから、セクシャリティは哲学のモチーフになる。だが、結局、セックスに夢中になれば、アイディアを持ち帰る事は出来ない。
 西城戀は裸姿でタバコを吸った。彼女は考えるべき事があった気がしたのであるが、それは霧の様に光の中で溶けて姿を失っていて、快楽と陽気な音楽の様な高揚感だけが残っている。二番目の夫である西城縹は汗だくになってうずくまっている。
 嘗ては、ほんの少し前までは、多少は抵抗してくれたものだ。だが、今はどうだろう?悩みながらセックスをしているだろうか?いや、もっと悩んで貰わないと困るのだ。私にはヴィジョンが必要だ。だが、彼を責める気にもならない。
 一線を超えると云う表現がある、縹は思った。でも、越えてしまうと超えたと云う心象はなくなる。でも、僕等は唯の気まずい恋人同士ではない。戀は美しい女性で、僕をこの上なく挑発して来る。僕は彼女をこんな風に抱いている事を誰かに知られたくない。でも、知られたくない事を彼女が知ったら、それはまた問題になる。
 「ねえ、私達朝食食べたでしょうか」戀は尋ねた。「ああ、そう云えばどう云う流れで真夏のホテルで抱き合っているのか思い出せません」戀は云った。
 「僕が家出をしようとして、一晩色々とあって、このホテルに来た。やって、寝て、起きてやって、今、考えている。僕の記憶が確かなら、最後の食事は昨夜の二十一時頃」
 「素晴らしい、シャーロック・ホームズみたいです。つまり、私達は朝食なり、昼食を食べるのに相応な状態にいますね」
 「別に、何も進んでいないし、解決はしていない」
 「それでも食べるべき時に食べるものです」
 二人を傍から見れば、少し年の離れたカップルに見える。実際、一方の戀の方はその様に認識している。然し、一方の少年からすれば養母である。彼は自分達の関係を養父がどの様に思っているのかを不安に思い、度々悩んでいた。戀はそれを秘密にもしなければ、詳しく話もしなかった。縺れた痴情と云うのなら、それは持続しなければならない、と云うのが戀の主張である。戀には無論、親としての自覚はない。自覚も責任も彼女の範疇ではない。そして、それに縹は酷く傷付いていて、何度も我慢の限界を迎えていた。
 こんな風に抱き合えるのもそろそろ限界だ、縹は思った。僕はまともな恋愛をするべきだ。でも、彼女は僕を手放してくれるのだろうか?
 彼は煩悶し、彼女は別の事に悩み《それは酷く浮世離れしている》互いに衣類をかき集めた。それは人が裸から着衣へと移行するには酷く不相応な有様だった。

Ep3-3へ続く


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