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病と共存するためのポートレート

ここ最近、仕事中に気になったワードを検索して論文などを読んでいる。

例えば、「メンヘラ」という言葉。
元来は2ちゃんねるの掲示板に書き込みをしている人を示し、だんだんとその用例は広がっていった。近年は、〈病める主体〉としての自己表記としても使われている。
「私はメンヘラだ」ということで自己の問題や苦しみ、不安定さを言語化しているとも云える。その使用範囲は病的な傾向から、一時的な不安定さまで広範囲だ。

例えば、「生きづらさ」という言葉。
1990年代後半から使われるようになり、医療・福祉分野で「『目に見えにくい』障害」を包摂するために用いられていたが、近年になってその用法は広くなった。
「若者の生きづらさとは?」などと名詞として成立しつつあるが、その範囲と用例は不定的だ。

「希死念慮はデフォルト」ということを聞いた大人がそれを受け入れられないで困惑を覚えるという。そういう分断もあるのだ。

私は、もう何年も絶望的な空気と生きてきて、これと離れて生きることはできないと感じているのに、それを上手く言語化できずに生きている気がする。
誰も生きづらさを絶望とは言わないが、そこには明らかな絶望感がある。しかし、絶望というには憚られるものがあるのだろう。

もう何年も自殺件数の増加が問題になっている。しかし、「私たちは絶望している」とは言えないで生きている気がするのだ。

そこで、これを写真に写せないかと考え始めた。
ハッシュタグはまだ決めていないのだが、「病と共生するためのポートレート」とコンセプトで作品を作りたいと考えている。

上手く行くかどうかはわからないのだが、少し続けてみようと思う。

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