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見かけの安心は地獄の始まりだったりする

こんにちは!

子どもにお金にまつわる話をしている、ゆうとすです!

本日は、「見かけの安心は地獄の始まりだったりする」というテーマでお話したいと思います。

ちょっとセンセーショナルなタイトルですが、順に解説していきたいと思います。

見かけの安心とは

見かけの安心とは、どういうことでしょうか。

ここでは、「みんなと同じで安心を覚える」と定義して話を進めていきます。

たとえば、

・流行のファッションを身につける

・携帯は常に最新モデル

・消費意欲が強くて、車、バイク、ブランド品を持っている

・CMで見た食べ物が大好き。

・Facebook、Instagram、LINEを意味もなく見てしまう

・好きな場所は大型ショッピングモール。週末はだいたいここに出かける。

・いつもなんとなく不安

根底には、「孤独」を恐れてたりします。

みんなと同じであれば、一見、孤独感は薄まるので。

地獄の始まりとは

さて。

みんなと同じで、孤独感は薄まわると話があリました。

みんなと同じ行動をとることで、不安に対する即効性はあるのかもしれませんが、問題があったりします。

自分の個性が一般大衆化してくることです。

自分が誰かわからなくなってくる、

そのほか大勢と自分が変わらなくなることを意味します。

自分がみんなで、

みんなが自分。

という恒等式に陥ってしまう

実は、

地方都市でも同じ構造が起こっていて、

国道沿いには、ファーストフード店や全国チェーンが並んで、郊外には大きなショッピングモールがあります。

県も違うんけど、旅行すればだいたい同じだったりします。

その最たるものは、「コンビニ」だったりします。

まるで、多くのヒトは魚の群れのような行動をしてしまいます。

その背景には、

「オールB人間を製造する工場ともいえる日本の軍隊教育」や「村八分という制裁をたてにした監視社会を作った村社会」が根底にあったりするのですが、

いずれにせよ、

大衆化になることを選択しているのは自分になります。

というよりも、

何も考えないと、大衆化にむかうことが自然だったりします。

人間の歴史をさかのぼると、群れから外れることは「死」を意味したので、

ヒトの脳からすると、孤独に抗うことは難しかったりします。

孤独に向き合うこと

じゃあどうすればいいのでしょうか?

孤独に向き合ってみることです。

孤独とは自分と対話すること。

自分が何が好きで、何が嫌なのか。

もしかしたら、葬り去りたい、あるいは、墓場まで持っていきたい過去があるかもしれません。

自分の頭で考えてみて、ここ1週間で他人に合わせていることはないか?

本当に今していることは、自分がしたいことなのか?

苦手なことはないか?

したくないことはないか?

意外かもしれませんが、自分が隠したい短所にこそ、自分の個性が宿ったりします。

オタクの人はある意味、自己と対話した結果かもしれません。

自分の「軸」に向き合ってみる。

孤独の時間をもちましょう。

あなただけの物語が眠っているものです。

それではまた!

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