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知ってることの「知らない領域」に踏み込む話。好き嫌いの概念を無くすことについて(第48回)

どうも、ゆうせいです。


私が追っている発信者のジラ谷さんのマガジン「アウトプットnote」を読んで写経し、私なりのアウトプットをする「アウトプット考察note」の48回目の記事になりやす。

毎回、ジラ谷さんの記事からテーマをお借りしており、今回のテーマは「死ぬまでにやりたいこと」について。元記事を読んで、分かりやすくまとめることを目指しながらこの記事を書いている。

また、元記事を読んで私が感じたことや、「こういうことも言えるのではないか」という別視点、解釈の拡張みたいなことも書いていく。


なので、ジラ谷さんの元記事も読めば理解度はさらに上がるんじゃないかと思うので、ぜひ読んで頂きたい。何なら、ジラ谷さんの記事だけを読んでもらっても構わない。


では、書いていく!


1.「死ぬまでに」ではなく「死ぬまで」やりたいこと、知らないことを学ぶ「未知との遭遇」を増やす

死ぬまでにやりたいことを具体的に挙げたら無限に出てくるということで、ジラ谷さんが出した答えは「未知との遭遇の機会を増やすこと」だ。

未知との遭遇とは、自分の知らない世界に触れることで、
・自分の見ている景色を常にバージョンアップできる
・接触した時に最も成長を感じられる

特にこの二つを強く実感できるそう。


この記事を書いていた頃に「哲学」の書籍を色々と読み漁り、知らない概念とたくさん出会い、これがジラ谷さんを代表する、メルマガ「ジラソフィア」の礎になっていると思われる。


普通に生きていたら、まず巡り合うことがないだろうことに多く遭遇できたことで、自分の見えている世界が広がり重要な軸の一つになる。ジラ谷さんの場合、哲学と情報発信が繋がり古代と現代の共通点や、相違点を言語化するという経験をしたことで、自分のフィールドが無限に広がっていくのを実感した、とのこと。


元記事からの一文をほぼ引用したけど、こんなことを聞いたらめちゃくちゃ楽しそうだし、やってみたい!って思っちゃうよね。

こうした「知らない世界を知りたい」って気持ちを持つには、興味があることは前提としてあって、それをどこまで深掘っていけるかどうか。興味があっても、頭を使わない程度に「楽しいなあ」と感じてはいても「難しくなってきたな」という段階になると、冷めてしまうのはよくあること。


こうならないように、ジラ谷さんは

目の前の事象に対して常に「不思議だなあ」という感覚を持ち続けることが大事だと思う。そういう何気ない日常から疑問を抽出して言語化すれば、自分だけの価値となる。そうしてあらゆる事象を言語化していくことで、見えていなかったものがどんどん見えるようになり、面白い人間へと進化していくのではないだろうか。

と、元記事の中で書いている。


疑問に思ったことを言語化するには、頭を使って考える必要があるので続けていけば思考力を身に付けることができ、言語化できれば自分だけの価値になる。その後は引用文の通りだ。


そして、哲学の勉強を深めたあとは神話、宗教、エネルギー、宇宙のことにも触れたいようで、死ぬまで未知との遭遇の機会を得ることができそうなジラ谷さんの今後の発信も非常に楽しみなのである。


2.知ってることの「知らない領域」と、好き嫌いの概念を無くすことについて

興味があっても知らない世界=「未知との遭遇」の機会を増やして積極的に触れることで、自分のフィールドが拡張し、自分の成長を感じ、おまけに面白い人(想像以上に広い視野を持っている人)になれることが分かった。


私はジラ谷さんの元記事を読んで、「未知との遭遇」の本領を発揮するのは知らない世界のことを知るために学び始める時よりも、知っている世界においてまだまだ「知らない世界」「あえて触れていない世界」に触れていく時だと感じた。



私が実際に体験したのはあらゆるジャンルの音楽を聴きまくっていた時期のこと。詳しくは以下のリンク先の記事に書いたので、お暇な方は読んでみてほしい。


精通しているほど音楽全般に詳しいというわけではないけど、音楽全般には多大な興味を持っている私にとって、この分野は「知っている世界」といえる。自称であり、個人的主観ではあるけど。

その中で、どうしても聴けない苦手な音楽ジャンルがあり、あえて聴かなかった。好きか嫌いかのどちらかで言えば嫌いな部類の音楽だったけど、自称でありながら音楽全般に興味を持っている者が「嫌いな音楽がある」と公言するのは、ちょっとおかしいのでは?と思っていた。


なので、好き嫌いという考え方をやめて「好きか苦手か」と思うことにした。「嫌い」を「苦手」に変えるとそのものの考え方にどういう変化が起きるか。


この音楽は嫌いだ、と一言でズバッと斬ってしまうとその音楽への興味は失われてしまう。せっかく触れる機会があるというのに、自らそれを放棄してしまうのだ。本当に聴かなくていいのか?興味ある音楽への視野を、自分から狭めている行為ではないか?と。

一方で、この音楽は苦手だ、と捉えるとまだ良さを分かっていないだけだ、と思えるようになった。自分にはまだ聴けない音楽に抵抗はあるけど、好んで聴いている人がいるということは、私にまだその良さが理解できていないだけだ、と。


このように考え方を変えるだけで、まだ触れたことのないものにも触れる機会がある、好きになれる可能性を上げることができる。実際に、私はいくつかの苦手なジャンルの音楽を、積極的に触れに行って好きになったものがいくつかあった。

オールジャンル好んで聴けるかといえば、まだ良さを理解していないものもある。でも、いつか「未知との遭遇」に触れることで、良さを理解して自分の中に取り込んでいける時が来るかもしれない。


当然、この話は音楽だけではなく情報発信においても同じだ。

必ずしもビジネス関連の話を網羅していないといけない、とは思わないが知っているだけでも知らない発信者よりは一歩先を進んでいるだろう。

興味が沸かなかったり苦手意識があったりと、私もそんな類の「ビジネス界隈にいるのにビジネスのことばかり発信したくない」という人は他にもいると思うので、変に「勉強しなきゃ!」と力を入れず、興味が沸いたりちょっと勉強してみようかな、と気持ちが向いた時が「未知との遭遇」に触れるチャンスだ。


触れてみて、面白そうだとか疑問に感じたことがあれば、深掘ってみると案外勉強することを楽しめるかもしれない。そうやって、少しずつ自分の世界を拡張することができれば、お気軽に最短で稼ぐことしか考えてない発信者よりは思考力、言語化力を身に付けて自分の発信の土台を作ることができ、長く発信活動を続けていくための地盤を築いていけるだろう。


それでは今日はこの辺で。
ゆうせいでした。

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