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ワクワク感の先天性・後天性と内外のギャップ、合わない事象でも排除はしないというお話(第18回)

どうも、ゆうせいです。


今回は、ジラ谷(@jiratani_world)さんのアウトプットnoteで「ワクワク感」をテーマに書かれた記事を読んで、考察noteを書いていく。


この記事を読んで、ワクワク感を感じる時ってこういう時なんじゃないかなぁ、やら他の可能性もあるんじゃないか?などと思考を巡らせているうちに、ここ最近書いた過去2記事の内容と繋がってないか?と感じたので、その辺りを詳細に書いていこうと思う。


それでは、本編をどうぞ。


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まず、今回のテーマ「ワクワク感」とジラ谷さんのnoteの内容について。

自分の内から純粋に「これマジで面白い!」と感じることを時間を忘れてやり続けられること。これがワクワク感の正体で、子供の頃にプレイしたモンスターハンターというゲームにワクワクした、というジラ谷さん。

その一方で、大人になりワクワクすることが減ったこと、お金を貰ってビジネスとしてゲームをプレイするとしたら、ワクワク感を感じないだろうことと書いている。

ふと思ったのだが、この「ワクワク感」という感情は、幼少の頃と比べて感じにくくなった。当時は知らないことがたくさんあって、毎日色んな発見があった。知らない場所や知らない遊び、何もかもが未知の世界で、そこから生み出されるエネルギーはとてつもなく大きなものだったと思う。

(中略)

もし今、「お金を払うから自分のゲームを手伝ってもらえませんか?」みたいな感じで、ちょっとしたビジネスが発生したとしたら、そこに当時のような楽しさは見出せないと思う。

ジラ谷さんの記事より


この辺りの考え方は、私とジラ谷さんとでは異なる。いや、この記事を書いていた頃のジラ谷さんとは異なるのであって、今現在はどうか分からないけど。

私に仮に顧客がいたとして、顧客が求めるものを依頼されて、お金を貰って例えば1曲作るとする。この時、自分の感性だけで自由に曲を作れれば最高に楽しいけど、顧客が求める曲がどういったものであるかを問うことになるから、ある種縛りプレイのような状態で、制限をかけて曲を作ることになるだろう。

この時に、楽しさ=ワクワク感がなくなるかというと、そんなことはなくて逆に「この壁を越えてやる!」みたいに、私はやる気が漲るタイプで、ワクワクしながら曲を作ると思う。


実際に作ってみたら、しんどかったり面倒くさかったりすることもあるだろう。しかし、顧客の依頼にも応えて自分のカラーを曲に盛り込んだ上で、顧客にとって良い作品ができたら、お金を貰って仕事を全うした、という感覚よりも自分の曲作りのレベルが一つ上がった感覚になると思う。


つまり、最初からワクワク感を感じてやれることを先天性ワクワク感、やってみてから楽しさが分かってワクワク感が生まれることを後天性ワクワク感と言うことができるのではないか。


私がこんな風に考えているのは、元々「音楽を仕事に出来たら、楽曲提供とやってみたいなあ」と純粋に思っていたからだと思う。
そして、そのことをこのnoteを書く前に書いた2つの記事で、やっぱりそうだよな、と改めて感じたのだ。


第16回のギャップの話は、外から見たとある世界に興味がなかったのに、一度体験したらすんげー良かった、という内容。

今回のテーマ「ワクワク感」にも実は通じていて、最初からワクワクすると分かっているものにギャップはなく、ただ純粋に楽しくなれるからやりたい!続けたい!という気持ちが強くなる。

お金を貰って自分の好きなものを提供することに楽しさを見いだせない、というのも、外から見たらそう感じるけど実際にやってみたら案外面白いと思うかもしれないし、ハマったらその先にはワクワクが待っている。


このギャップの話は第17回で書いた、「いつか好んで聴いてみたい音楽”戦略”」にも繋がる話だ。

お金を貰って自分の好きなものを提供することが、自分には合っていない、そこに楽しさを見いだせないと感じても、一旦自分の脳内の片隅に記憶だけでもしておく。

そして、いつかその合わないやり方が自分にもできる時が来るかもしれない。可能性はゼロではないし、自分に出来た時に持てる武器が一つ増えると考えれば、合わないというだけで切り捨てるのは勿体ないと私は思う。


なので、私も自分には合わないと思って離れてしまったノウハウで稼ぐ系の発信を、完全に自分から切り離したというよりは、一旦脳内の片隅にひっそりと残してある、という状態だ。

自分に合わないものが一生合わないとは限らないし、ノウハウで稼ぐ系も思考力や言語化力を鍛えて、自分の力で考えて実践できれば、もしかしたら自分にもできた!と、持てなかった武器を一つ持てるようになるのだ。



もちろん可能性の話なので、それがいつ実現するかは分からないし、死ぬまで無理かもしれない。

今は、自分の力を底上げするためにジラ谷さんのアウトプットnoteを写経して、こうして考察noteを書いていることが、情報発信をしていく上で最も楽しいので、しばらく続けていくことは間違いない。


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ギャップの話、合わないものでも一旦脳内に保管する話、そしてワクワク感の話。

一見するとそれぞれが独立した話のように思えるけど、一つ一つを深く思考していくとジラ谷さんの考え方の根幹から枝分かれしているだけで、言い換えると同じことを別の角度から話している内容である、とも取れる。

そこから同じように、自分の考え方もその根幹から枝分かれして、同じことを別の角度から見た話になっている、と捉えることができた。

ただ書かれていることを読むだけではなく、何を感じたか、何を考えられるかを言語化していけば、一人の発信者のコンテンツは全て繋がっていると気づくことができるのだ。


それでは今日はこの辺で。
ゆうせいでした。

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