「自分の解釈を立ち上げる」 中学校に向けたカードを使ったオンライン美術鑑賞プログラム
中学校に向けたオンライン鑑賞プログラム開発
高松市美術館と連携して、中学校向けのオンライン鑑賞プログラムを作りました。コロナ禍が続く中で新しいアウトリーチして、美術館のオンライン出張事業の提案で、中学校教師や美術館関係者に向けて実験のプログラムを行行いました。
今回のプログラムは、まずは作品を見て「自分はこう思った」と自分の解釈を起こすことをテーマにしました。
鑑賞作品について
依頼をいただいた高松市美術館は、20世紀以降の日本美術作品のコレクションが充実している美術館です。
その中で高松市が出身の、木村忠太「グラース郊外」と、同氏のデッサン3枚をプログラムに使用しました。
木村忠太について
作品は抽象画ではありませんが、抽象的な要素が多い表現に見えます。このような画面をモチーフにして「解釈」をテーマにプログラムを組むと、その振り幅が豊かになる反面、具体的なものが画面から見えにくいため、「全然わからない・・」と参加者の思考がフリーズしてしまうリスクも考えられました。
そこで、心的な安全環境を整えることと、解釈への助走を担うチュートリアルを特にしっかりと行うことを念頭に、プログラムを組み立てました。
プログラムの大まかな流れ
*中学校での実施想定で、作品はワークシートに印刷したものを鑑賞。
実施時間50分、3〜40人の参加者を想定
導入
導入では、前述したテーマ『自分の解釈を立ち上げること』に触れつつ、今日のこの場では、どんな解釈も歓迎され、あなた自身が解釈を立ち上げることが一番大切だと伝えました。
鑑賞プログラムでは、本人は「大したことない」「どうってことない」と思っている解釈ほど、他人にとってはとても新鮮に感じられることがよく起こります。
なので、自分が感じてしまったこと、考えてしまったことに自分でブレーキをかけないこと、また、鑑賞で他者と関わる中で解釈の優劣を比べず、違いを面白がって欲しいということを伝えました。
ウォーミングアップ「シロット・カード」
ウォーミングアップでは、素人がタロットカードの図像の意味を勝手に読み取る「シロット・カード」というワークを行いました。
タロットには、「大アルカナ」と「小アルカナ」という区分があります。24枚の「大アルカナ」は知っている人も多いので、それよりはマイナーな「小アルカナ」という区分のカードから3枚を選び、代表者にその絵柄から勝手な解釈を考えてもらいました。
よかったら、皆さんも以下の3つのカードを「勝手に」解釈して、どんなメッセージが表されているか、考えて見てください。タロットらしく、ちょっと占い風の文言を考えてみても良いでしょう。
どうでしょうか?これはウェイト・スミス版という絵柄のタロットで、左から「剣の3」「棒の10」「杯の5」というカードになります。
詳しい意味が知りたい人は、こちらのリンクで調べてみて下さい。タロットのカードは、カードを引いた人の様々な状況に対応できるように、いろんな角度から解釈ができるように作られています。
左端のカードの、ハートに剣が刺された様な絵柄は、「失恋」や「死」のような捉え方もあれば、「新たな恋の始まり」や「再生」を示唆したりもできます。同じように、真ん中のカードは、「辛い仕事」かもしれないし、「信頼」や「責任感」と見ることもできるでしょう。右端の倒れた杯のカードは、「3つも倒れてしまった」、もしくは「まだ2つ残っている」とも取れます。
このように、一つのものに対して解釈はさまざまに可能であることを、参加者の解釈を全体で共有しながら確認します。そして、、今日のこの場では、どんな解釈も歓迎され、あなた自身が解釈を立ち上げることが一番大切だということにも再度触れておきます。
練習
続く練習では、デッサン作品3枚に自分なりの解釈を立ち上げ、その後、ペアになってお互いの解釈を共有してもらいました。「シロット・カード」で解釈を立ち上げる感覚の補助線を引いたのが良かったようで、ペアでの共有の際は、会場が和やかでありつつ、お互いの話をよく聞き合う様子が、リモートの画面越しからでも見てとれました。
本番
ここまでで、自分の解釈を立ち上げられたこと、また、他人の解釈を聞く楽しみに触れたことを確認し、本番ではさらに深い解釈を促してゆきます。
次は1つの作品「グラース郊外」を4分鑑賞します。先程と同様に感じたことを書き出した後、作家に対する解説を読んでみます。他の解釈=作品解説を得た上で、さらに自分はどう解釈するのか?をさらに3分で考えてもらういます。
ここでも、各自の解釈の内容云々ではなく、それぞれがどう決着をつけるのかを大切にします。
解説に、なるほど!と膝を打つのか、同じ事を感じていると共感するのか、本当にそうか?と疑うのか、自分の方が正しいと反論するのか、全く新しい解釈を発見するのか・・
解釈にはまざまな可能性が考えられます。もちろん全ての解釈は歓迎されるが、さて、みなさんはどう判断をつけるでしょうか?
最後に同じペアで3分づつ意見を交換し、総括となりました。
詳細な流れを知りたい方はこちらに資料があります。
実施後のアンケートの抜粋
なんの解説もない絵画を鑑賞することが初めてだったので、「自分の解釈」を持った上で、他の人の意見を聞くという体験ができてとても良かった。
自分と他人の解釈の違いはすごく面白かったし、新たな視点の発見にもつながりました。私も中学校の時にこのようなワークショップを経験してみたかったと思いました。
普段、絵や小説といった創作物に触れた際に「他の解釈」に真っ先に頼ってしまうことが多いので、改めて自己の解釈を第一に考え、自分の意見を持つ重要性に気づくことができた
今までの絵画の鑑賞の仕方が受動的だったことに気付かされました。自分なりの解釈を立てたことで、自分からその絵のことがより気になって、作品に近づけたような気がして、作品に対しての興味が増しました。「どんな解釈でもOK」という否定しないスタンスのおかげで、気楽に色々と考えられました。
アンケートを見ると、「解釈の立ち上げ」のところは、全体で到達してもらえたようです。また、「他人の解釈の違いが面白い」「新たな視点の発見」という言葉があるように、解釈には多様なものがあり、まずはその違いを肯定的に受け止めて楽しむ意識も感じ取れて、プログラムの第一の目的は達せられた様でした。
欲を言えば、後半に組み込んだ、他の解釈と自身の解釈との吟味や、再解釈の構築の部分に、多少内容過多な印象を感じたので、今後は#1で解釈の立ち上げ、#2で解釈の変容の体験と、50分の授業で段階を2回に分けて行った方が良いと思いました。
ともあれ、体験してもらった中学校の教員の方からは、導入部分がとてもよくできていて、多少事前のハンドリング(対話の際のペアの組み方など)を加えれば、充分授業として対応できるのではという評価をいただけました。
いつもは、一般向けに2〜3時間の長いプログラムを組むことが多かったので、非常に新鮮な感覚でやらせてもらえました。今後もこのような教育機関の授業内でのプログラムも実践できればいいなと思っています。
追記:その後の中学校に向けたプログラム