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東京の真ん中、江戸城(皇居)を極めませんか その3 (平川門から清水門へ)
今回は「江戸城を極める その3 (平川門から清水門へ)」ということで、皆さんも案外見落としているところもあると思うので一読頂けたら嬉しいです。同時に、江戸城のみならず内堀の周囲にある近代の遺構も沢山あるので、一緒に取り上げていきます。
因みに「江戸城(皇居)を極める」は以下のようになっています。外堀については後日レポートします。
その1 (江戸城本丸から三の丸)
その2 (内堀 和田倉門から外桜田門へ)
その3 (内堀 平川門から清水門へ) この記事です。
その4 (内堀 北の丸から田安門へ)
その5 (内堀 千鳥ケ淵から桜田門へ)
マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。
では、大手町駅から大手濠緑地へ向かって歩きます。竹橋駅の方が近いのですが、江戸城にたどり着く前に1ヶ所、平将門の首塚に寄り道します。
将門塚(平将門の首塚)
平将門の首塚は、平安時代中期の武将、平将門の首が埋められたとされる史跡です。将門は、関東地方で一大反乱を起こし、939年に討たれました。将門の首は京都で晒された後、関東に戻され、この地に埋められたと伝えられています。
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古くから江戸の地におけるパワースポット。過去、再開発の計画が出るたびに謎の事故が続き、将門の祟りだと言われて首塚は取り壊しを免れて残っています。数年前はいかにもパワースポットという感じの怪しげな雰囲気がありましたが、現在は綺麗に整備されています。平日でもサラリーマンと思しき人たちが参拝に訪れていました。大手濠緑地へ向かいます。
大手濠緑地は平川門の近くにあり、きれいに整備されています。緑地に入るとまず目に飛び込んでくるのが、皇居の方を向いて立っている和気清麻呂像です。
和気清麻呂像
昭和15年、紀元2600年記念事業として建立、楠木正成公銅像 とともに文武の二忠臣を象徴したものです。 和気清麻呂は奈良時代末期から平安時代にかけての貴族。清麻呂は勤皇の忠臣と見なされており戦前には十円紙幣の肖像画にもなりました。
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和気清麻呂という人物も知りませんでしたし、横にある説明の石板は私には解読不能でしたが、像自体はさすが皇居、立派なものです。しかし、楠木正成公銅像ほどは存在が知られていません。その像のすぐ横にイチョウの大木があります。
震災イチョウ
もともとこの木は旧・文部省庁舎のあった現在の毎日新聞社本社ビル近くに植えられていました。1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生。東京市中は猛火に呑まれ、この木も表面の一部が炎と高温で変質するも焼失は免れました。しかし周囲の樹木はこの木を除いてほぼ全部焼失し、以降「帝都復興のシンボル」として注目を集めました。
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樹齢は約150年とされています。巨木という訳でもなく、震災で焼けた跡も見当たりませんでした。ここからすぐに平川門が見えます。
江戸城平川門
罪人や死者を城外に出すときに使われた不浄門と言われています。東御苑への通路ともなっていますが、あいにく当日は定休日で門は閉鎖されていました。 枡形門で木橋が往時のように残されるのは江戸城でもここだけです。
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他にも調べると、本丸大奥に通じる奥女中の通用門だったため別名「お局門」とも呼ばれてもいたそうです。吉良上野介を切りつけた浅野内匠頭もこの門から船で運ばれたとか。大手門と同様に東御苑に出入りできる門ですが、当日は定休日で閉鎖されていました。平川門を過ぎてすぐに江戸城築城の碑があります。
江戸城築城の碑
江戸・東京の繁栄と発展の基礎を築いた室町時代の武将太田道灌の追慕碑です。1457(長録元)年、太田氏は現在の皇居東御苑あたりにわずか1年で江戸城を築城したといわれています。この碑の材は、虎ノ門の石垣の一部が使われています。
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江戸時代の江戸城ではなく、太田道灌が築城した江戸城の碑ですね。
竹橋御門跡
当時の竹橋門は撤去されてしまいました。現在のアーチ型竹橋は大正15年の帝都復興事業で架設された橋です。門跡の記念碑が整備されています。
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毎日新聞社のユニークなビルを過ぎて、堀沿いに歩くと清水門に到着です。清水門に入る前に、その内堀通りの反対側に千代田区役所が見えてきます。区役所の敷地内に大隈重信邸跡の碑があります。
大隈重信邸跡
1876年(明治9年)から1884年(明治17年)まで、この雉子橋邸宅に住み、1882年(明治15年)創立の早稲田大学の前身の東京専門学校の開校事務もこの邸宅で行ったとあります。
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旧軍人会館 (九段会館)
竣工年:1934年(昭和9年) 設計:川元良一。二・二六事件で戒厳司令部が置かれた建物です。 旧名称は「軍人会館」といい、帝国在郷軍人会の施設でした。1936年(昭和11年)に起 きた二・二六事件の際には戒厳司令部が設置され、歴史的事件の舞台となりました。戦後はGHQ(連合国軍総司令部)に接収され、連合軍の宿舎でした。
昭和初期の近代レトロ建築です。九段会館テラスとしてオフィスビルへの再開発によって解体され、城郭風の建築様式を残しつつ「腰巻ビル」に建て替えられました。写真はほぼ完成段階の2022年のものです。
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江戸城清水門
推定では1607年(慶長12年)の建立とされ、当時の原形を保ち国の重要文化財です。かつては「水戸門」とも呼ばれ、水戸藩邸へ通じる道として使われていました。現在も北の丸への出入口として利用されています。ちなみに、江戸城で江戸時代のままの姿を残している門はこの清水門と田安門、外桜田門だけで、国の重要文化財に指定されています。
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ここまでで、一区切りとします。続いて、この清水門から北の丸公園に入ります。「その4 (清水門から北の丸、田安門へ)」に続きます。
この記事は、私の「東京レトロ街歩きガイド&マップ」サイトのテーマ別「Th-01江戸城を極める」を基に街歩きをしています。記事の内容以外にも街歩き検証はまだですが、外堀を含めて江戸城のAll in Oneのガイド&マップになっています。こちらもぜひご覧ください。
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