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お洒落?!な街、広尾から六本木まで足を延ばして歴史街歩き
今回歩いた広尾や隣接する南麻布はもともと、武家屋敷の街でした。明治維新後には屋敷の跡地に大使館が立地するようになり、インターナショナルな雰囲気の街へと変わって行きました。また天皇家や政治家など、各界の著名人を輩出している名門校が多くあります。東京の中でもお洒落でハイソ、インターナショナルな街といえます。
とはいえ、江戸から明治、大正、昭和の痕跡も点在しています。そんな歴史の重層を巡り、最後は毛利甲斐守邸だった六本木ヒルズまでを歩きます。
マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。
広尾駅で降りて、まずは黒田長政のお墓がある祥雲寺を目指します。
祥雲寺 黒田長政の墓
黒田長政は安土桃山から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、秀吉の参謀であった軍師黒田官兵衛の子です。朝鮮出兵に従い朝鮮に渡って奮戦。秀吉没後は父とともに石田三成に反対し、関ヶ原の戦いには徳川方に味方して筑前国を与えられた武将です。
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広尾駅方面に戻り、有栖川宮記念公園を目指します。公園沿って通る道が南部坂です。
南部坂
南部坂という坂の名称は江戸時代、現在の有栖川宮記念公園の場所に奥州・南部藩の屋敷があったことに由来しています。同様の由来で、忠臣蔵で有名な「南部坂雪の別れ」の南部坂は赤坂にある別の坂です。
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日本基督教団 麻布南部坂教会
竣工年:1924年(大正13年) 設計:ヴォーリズ
設計は宣教師として来日し、多くの教会を設計したヴォーリズ。メンソレータムの近江兄弟社を設立した人でもあります。南部坂の坂道という立地を活かし、坂下からは礼拝堂の大きなアーチを望むことができます。
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ドイツ大使館
5階建てキューブ型の現代建築。坂道から少し奥に入った場所に配置されたこでシンプルさで時代に流されない魅力を発しています。開放的で透明性が高い一方で、ドイツらしい質実剛健なデザインの近代建築です。庭園がありますが外からは伺うことはできません。
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有栖川宮記念公園の有栖川宮熾仁騎馬像
この地は盛岡南部藩下屋敷で、1896年(明治29年)に有栖川宮威仁親王の御用地となりました。威仁親王は戊辰戦争で官軍を率い、騎馬像はかつての陸軍参謀本部前(現在の国会議事堂近く)に置かれていた由緒ある像です。
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有栖川宮記念公園を一回りしたのち、少し距離がありますが六本木ヒルズを目指します。六本木さくら坂の公園に、少し場違いな感じで乃木大將生誕之地の碑があります。
乃木大將生誕之地
1849年(嘉永2年)、長府藩上屋敷(毛利甲斐守邸跡、現六本木ヒルズ)に生まれました。碑は昭和7年に建立され、再開発によりここに移設されたものです。
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毛利甲斐守邸跡 (毛利庭園)
岡島八十右衛門常樹ら十士切腹の地です。
六本木ヒルズ、毛利庭園はかつては毛利甲斐守邸でした。赤穂浪士の討ち入りが起きた際に、水野家と細川家は赤穂浪士を厚遇しましたが、毛利家は罪人として冷遇したと伝わっています。また、ここが乃木希典大将の実際の誕生した地でもあります。毛利甲斐守邸の痕跡はこの説明板のみで、遺構など跡形もありませんでした。
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この記事は、私の「東京レトロ街歩きガイド&マップ」サイトのエリア別「Ar-11広尾から麻布十番を歩く」の一部を基に街歩きをしています。記事の内容以外にもAll in Oneのガイド&マップになっています。こちらもぜひ参照ください。
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