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北区にもこんなにあるレトロ建築(近代レトロ建築-13)

今回は東京の中でもあまり注目されない地味な印象が強い北区に焦点を当て、明治、大正、昭和のレトロ建築を探訪しました。

北区の中心的な町が王子です。
王子の飛鳥山は徳川吉宗が享保の改革でサクラの苗木を植えて公園として整備・造成を行い、江戸の桜の名所になりました。ここに居を構えていたのが古河財閥の古河虎之助、資本主義の父といわれる渋沢栄一でした。

一方で、板橋、十条、赤羽、王子は戦前には陸軍造兵廠、陸軍被服本廠がおかれて一帯は広大な軍事工場地帯でもあったという特色のあるエリアです。軍都の痕跡も多いのですが、それは別記事にする予定です。


マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。

まずは、王子駅からスタートしました。飛鳥山を登るので、足に自信のない方は駅を降りてすぐに無料ケーブルカーで飛鳥山の上まで登ることができます。

渋沢栄一旧飛鳥山邸

幕末期に一橋慶喜に仕え、パリ万国博に随行してヨーロッパ各国を訪問、産業革命後のヨーロッパ各国の諸制度などを研究しました。
明治維新後は大蔵省高官を経験した後に実業界 に転じて1873年(明治6)に日本最初の銀行(現みずほ銀行)を創設し頭取に就任。その後は東京ガ ス・東京海上火災保険・秩父セメント・帝国ホ テル・東京証券取引所・ キリンビールなど500 を超える企業・団体の設立に関わりました。教育・社会公共事業の支援、民間外交にも尽力し 1931年(昭和6年)に91歳の生涯を閉じました。

飛鳥山邸は1901年(明治34年)から亡くなる1931年(昭和6年)までは本邸として生活をしていました。曖依村荘とも呼ばれ、単なる私邸にとどまらず、国内外からの賓客を迎える など栄一の活動拠点でした。大正時代には、喜寿を記念して贈呈された晩香廬、傘寿と子爵昇進を祝して青淵文庫が造ら れています。

渋沢栄一旧飛鳥山邸跡 青淵文庫

竣工年:1925年(大正14年)設計:中村・田辺事務所
渋沢栄一の傘寿と子爵昇爵を祝って贈られた2階建ての書庫 です。外壁は石貼り、テラスに面した窓の上部はステンドガ ラスで飾られています。「青淵」は渋沢栄一の号です。

渋沢栄一旧飛鳥山邸跡 青淵文庫
渋沢栄一旧飛鳥山邸跡 青淵文庫

渋沢栄一旧飛鳥山邸跡 晩香廬

竣工年:1917年(大正6年) 設計:田辺淳吉
渋沢栄一の喜寿を記念して清水組から贈られた木造の洋風茶室です。様々な建築様式を取り混ぜ趣向を凝らした小建築 で、賓客の接待に用いられました。

渋沢栄一旧飛鳥山邸跡 晩香廬
渋沢栄一旧飛鳥山邸跡 晩香廬
渋沢栄一旧飛鳥山邸跡 渋沢栄一像

飛鳥山を降りて、少し歩くと煉瓦造りの旧大蔵省醸造試験所があります。

旧大蔵省醸造試験所

竣工年:1902年(明治35年) 設計:妻木頼黄
醸造方法の研究や清酒の品質の改良を図る研究機関でした。 通常は非公開ですが、フェンスの外からある程度外観をうか がうことができます…という情報でしたが、当日は門が開かれていて、内部に入れました。説明板も整備されていました。現在でも使用中の建物です。

旧大蔵省醸造試験所
旧大蔵省醸造試験所
旧大蔵省醸造試験所 説明板

さらに田端方向に向かって歩くと、旧古河邸があります。

旧古河邸 大谷美術館

竣工年:1917年(大正6年)設計:ジョサイア・コンドル
古河財閥3代当主の古河虎之助が邸宅として整備。外観はスコティッシュ・バロニアル様式を目指したとされます。左右対称で両脇に切妻屋根を据え、スコットランドの山荘の風情で、東京のバラの名所として親しまれています。

旧古河邸
旧古河邸
旧古河邸

古河邸から王子駅に戻り、京浜東北線で赤羽駅へ移動です。

カトリック赤羽教会

竣工は戦後の1951年(昭和26年)。
正式名称は「被昇天の聖母カトリック赤羽教会」。空襲で壊滅した工場跡をローゼンバイゲル神父がアメリカからの寄付 金で購入し、修道院、聖堂、幼稚園を次々に建設しました。

カトリック赤羽教会
カトリック赤羽教会

さらに赤羽駅から埼京線で板橋駅へ移動です。板橋駅のすぐ近くに新撰組の近藤勇と永倉新八の墓があるので、寄り道で覗いていきます。

新撰組 近藤勇と永倉新八の墓

近藤勇は板橋平尾宿にあった一里塚付近で斬首の刑を受け、首は京都三条河原にさらされました。その後、永倉新八が発起人となり明治9年に建てられたものです。函館で戦死した土方歳三をはじめ新撰組隊士と共に墓が建てられています。

新撰組 近藤勇と永倉新八の墓
近藤勇の像

神召キリスト教会

竣工年は1927年(昭和2年)。
米国宣教師 C.F.ジュルゲンセン師によって建てれたアッセンブリー教団発祥の教会です。正面の壁から出ている4本ある柱の上部が槍のような形にしているのがゴシック様式の造形で、教会を表す外観になっています。

神召キリスト教会の全景
神召キリスト教会
神召キリスト教会

亀の子束子西尾商店

竣工は1922年(大正11年)。
亀の子束子は1907年(明治40年)に創業者、西尾正左衛門により発明されました。木造2階建ての建物で東京ではもうほとんどない関東大震災前の貴重な建物です。現在も亀の子束子本店の直営店として現役の建物です。

亀の子束子西尾商店
亀の子束子西尾商店

地味な北区に着目してレトロ建築を巡るというのもなかなか思いつかないし、実際にやろうという機会も少ないと思います。これはこれで、北区というのも魅力のある区だと認識を改める街歩きでした。


この記事は、私の「東京レトロ街歩きガイド&マップ」サイトのテーマ別「Th-07今に残る近代レトロ建築」を基に一部を切り出して街歩きをしています。記事の内容以外にもAll in Oneのガイド&マップになっています。こちらもぜひ参照ください。

またinstagramでも「近代レトロ建築」を発信していますので、訪問してみてください。


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