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東京レトロな街歩き

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歴史が積み重なった東京の深層を知りたい。今まで素通りしていた東京のレトロである江戸史跡、明治、大正、昭和の近代遺構を実際に歩いて、この目で確かめたい。そう考え、東京のレトロに焦点…
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本郷に文芸人の足跡を探すレトロ街歩きーその2

本郷に文芸人の足跡を探すの「その2」です。 本郷は武蔵野台地の末端にあたり、緩やかな台地(本郷台)が起伏に富む山手を形成していて、物語性のある名坂が数多くあります。 「その1」と「その2」を通して、そんな坂を意識して歩くとまた一層興味が湧いてきます。歩いてきた坂は菊坂、鐙坂、炭団坂、胸突坂、新坂などです。坂の要所に説明板も整備されていますので、ぜひ見落とさないように歩きましょう。 マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。 (マッ

本郷に文芸人の足跡を探すレトロ街歩きーその1

文京区本郷は旧帝国大学(東京大学)がおかれて文教の街として栄え、多くの知識人や文化人が集まりました。明治から昭和にかけて本郷一帯には夏目漱石、坪内逍遥、樋口一葉、徳田秋声、二葉亭四迷、正岡子規、宮沢賢治、川端康成、石川啄木など多くの文芸人が住み、後世に残る優れた作品を多数残しました。 ….今回は、そんな文芸人の足跡を辿りながら本郷を歩くレトロ街歩きをしました。この記事が、読んでいただいた皆さんの街歩きの「ガイド&マップ」となったら嬉しいです。健康のためにも歩きましょう。

なぜ中野に忠臣蔵ゆかりの墓が。中野のレトロ街歩き

中野に「吉良上野介」の墓があります。 そうです。江戸城松の廊下で赤穂城主の浅野内匠頭長矩に切りつけられ、その後に赤穂義士によって首を取られたという「忠臣蔵」で悪役にされた吉良上野介です。なぜ中野に? もう一人、梶川与惣兵衛頼照の墓も中野にあるとか。 梶川与惣兵衛頼照は江戸城松の廊下に居合わせ、浅野内匠頭の背後から制止し名言「殿中でござる」と言ったとされる旗本の武士です。 なぜ中野に忠臣蔵ゆかりの二人の墓があるのか。 吉良上野介の墓がある萬昌院は吉良家の菩提寺にもなっていて

品川駅から武蔵野台地の端、高輪を歩くレトロ街歩き

高輪には江戸時代に東海道の「高輪大木戸」が設けられ、江戸の南の玄関口としての機能を果たしていました。多くの寺が集まるようになり、周辺には井伊家、本多家などの大名屋敷が建ち並んでいたといいます。明治維新後、三田や麻布などと同様に大名屋敷は皇族の邸宅や大使館や大学などに変わり、大人の雰囲気とブランド感のある街「高輪」になっています。 今回は、東京湾に面していた低地のJR品川駅から歩き始め、武蔵野台地を登りつつ江戸の史跡と近代の遺構が混ざり合った高輪を巡りながら高輪ゲートウェイ駅

江戸の史跡に注目。三田を探訪するレトロ街歩き

三田は、慶應義塾大学の三田キャンパスがあり、学生街として知られています。しかし時代を遡れば、旧東海道や寺町として栄えた歴史をがあり、それらを伝える史跡も点在します。また、明治以降に皇族や財閥の邸宅や各国の大使館として使われたように、かつてあった江戸時代の武家屋敷の面影や痕跡が残る街でもあります。 この記事が、読んでいただいた皆さんの街歩きの「ガイド&マップ」となったら嬉しいです。健康のためにも歩きましょう。 マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)は

福沢諭吉が眠る善福寺。麻布十番のレトロ街歩き

一度見たら忘れないデザインで麻布のランドマークとなっている元麻布ヒルズフォレストタワーを常に視野に入れながら、タワーの足元にある福沢諭吉が眠る善福寺を中心に江戸史跡や近代遺構を探訪して歩きました。 この記事が、読んでいただいた皆さんの街歩きの「ガイド&マップ」となったら嬉しいです。健康のためにも歩きましょう。 マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。 地下鉄麻布十番駅から歩き始め、さらに暗闇坂を経て、一度見たら忘れないデザイン

ちょっと地味な麻布台から六本木のレトロ街歩き

麻布十番から麻布狸穴のロシア大使館を経て、麻布台、スウェーデン大使館、スペイン大使館のある六本木一丁目まで歩きます。 世界各国の大使館を横目で見ながら、明治、大正、昭和の近代遺構が随所に見つけられます。またこの一帯は坂の街でもあり、江戸から続く坂の名前を確かめながら歩くという面白さがありました。 この記事が、読んでいただいた皆さんの街歩きの「ガイド&マップ」となったら嬉しいです。健康のためにも歩きましょう。 それほどメジャーな遺構ではありませんが、よく知る近代の文学や政治

お洒落?!な街、広尾から六本木まで足を延ばして歴史街歩き

今回歩いた広尾や隣接する南麻布はもともと、武家屋敷の街でした。明治維新後には屋敷の跡地に大使館が立地するようになり、インターナショナルな雰囲気の街へと変わって行きました。また天皇家や政治家など、各界の著名人を輩出している名門校が多くあります。東京の中でもお洒落でハイソ、インターナショナルな街といえます。 とはいえ、江戸から明治、大正、昭和の痕跡も点在しています。そんな歴史の重層を巡り、最後は毛利甲斐守邸だった六本木ヒルズまでを歩きます。 マップが見えない方(iPhoneの

本郷三丁目をチョイ歩き。「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」

本郷といえば東京大学が頭に浮かぶし、樋口一葉や宮沢賢治、夏目漱石などなど、多くの文芸人が居を構えた文学の町でもあり、見どころ満載、奥が深いです。今回は、手始めとして本郷の記事の第一弾、本郷三丁目駅を起点に江戸五街道の一つである中山道を北に下ってほんの片道1kmほどのチョイ歩きです。 それでも見どころはたくさんありました。 マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。 その昔、江戸時代では「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」と川柳で

都心に生きる古木たち-谷中編

東京の都心と言われるエリアは開発も進み、道路とビルだらけで、緑が少ないというのも事実だと思います。しかし、都心にも江戸から続く古い寺社や大名屋敷の痕跡が保存されていて、探してみると案外古木、巨木が見つかります。都市化の中、ビルに囲まれ排気ガスにまみれながらも、健気に都会の喧騒の中で生き抜いているのです。田舎や郊外ではなく、都心にあるからこそ貴重なんだと気付かされます。この目で見ておきたいと思ってきました。 こうした都内の古木は関東大震災の火災や東京大空襲にも耐えてきた証拠で

観光、食べ歩きじゃない谷中のレトロな街歩き

谷中は「谷根千」と言われる下町の街歩きで人気のエリアですが、ネットやガイド本の詳しい情報は主に谷中銀座や食べ歩き中心です。 谷中の魅力はそれだけではありません。谷中は「寺町」と呼ばれるように、60以上の仏教の寺院が集中している古い下町です。上野戦争で罹災したものの、震災や空襲では被害が少なく、江戸以来の古い町屋や狭い路地の町並みが今でも残っています。そのような歴史に裏付けられた魅力を持った街、谷中を歩きます。 なお谷中の魅力は多く、この街歩き記事では史跡、遺構、建築などに絞

実は巨大軍需工場だった。後楽園周辺の戦争の痕跡を探る。

現在の東京ドーム、小石川後楽園一帯は、明治期には巨大な軍需工場地帯だったというのをご存知でしょうか。 江戸から明治になると、江戸の大名屋敷跡の広大な土地は明治政府に収用され、富国強兵の政策のもとで多くは陸軍の用地となりました。かつて東京にあった軍施設の面積は世界でも類を見ないほどで、まさに東京は首都であると同時に軍都でもありました。 現在の東京ドーム、小石川後楽園、文京区役所、礫川公園、都戦没者霊苑、中央大学を含む広大な一帯は元は水戸徳川家の屋敷跡でした。ここに陸軍砲兵工

場外市場だけではない。近代が始まった築地を歩く。

築地といえば築地市場、場外市場を思い浮かべる人も多い筈ですが、そればかりではありません。 江戸からの歴史の積み重ねがあります。築地は、江戸時代1657年(明暦3年)の明暦の大火の際に焼失した浅草御門南の西本願寺(現在の築地本願寺)の代替地として、佃島の住人によって文字通り土地が造成されたものです。その後、浄土真宗の寺院や墓地が次々と建立され、周辺は寺町のようになりました。 更に江戸末期には、幕府は軍事力増強を目的として築地に講武所を設け、後に海軍部門の軍艦操練所を設置、勝海

京橋を歩く。日本橋と銀座の狭間で。

京橋というと、日本橋と銀座に挟まれて影が薄いですね。めぼしいランドマークも少なく、日本橋から歩くと、いつの間にか京橋を通り過ぎて銀座になっているという印象です。歴史に疎い私が「京橋」を紐解くと… 昭和22年には京橋区と日本橋区が合併して中央区となった…とあります。京橋区なんてあったんですね。昭和34年京橋川の埋め立てによって橋はなくなり、現在は首都高速が上を走っています。今回は、そんな京橋の見落としがちな史跡の歴史散歩です。 マップが見えない方(iPhoneのsafari