皮相上滑り
太平洋序曲を観てきました。
フルver.ではないので、休憩なしで1時間45分程度。
私が観た回は、
☆狂言回し:山本耕史さん
☆香山弥左衛門:海宝直人さん
☆ジョン万次郎:ウエンツ瑛士さん
です。
つらつらとりとめなく感想を綴ってみようとおもいます。
*以下、ネタバレを避けたい方はそっと画面を閉じてください。
とにかく全キャストさん、プリンシパル・アンサンブル関係なく、お一人お一人の力が素晴らしいです。
聞きどころ満載、耳福。
観る前からいろんなところで難しいとは聞いていたのですが、キャストさん方をみて、安心しかなかった。
しかし、実際、素人が聞いても、気が抜けなさそうというか。
個人的に音と音、声と声の重ね方、こすれ方がすごく好きなんですが、やる側としては神経むちゃくちゃ使いそう…
Four Black DragonsやPoemsが好きです。
Someone in a Treeの、「いやだから結局どないやねん」感ももちろん好きです笑
「オレ知ってる」「実はオレ、見てたんやけど」ほど、さして重要なことは知らない見てない、しかし勿体はつけるというあるある。
そして旋律が美しい分、場面によっては残酷さも際立ちます。
Welcome to Kanagawaの、ああ古今東西、まず間違いない商売ってこうなっちゃうんだよな…っていう。
あからさまに芋くさい洗練されてないメイクや衣装で、かき集めた無知な娘たちに付け焼き刃に知識や稽古をつける。
その悲壮と強かさに美しい曲がのるという。
Pretty ladyなどは、女子的に殴り倒したくなるところですが、きれいなんですよね、歌…
「花かご持った女性」を見かけて、娼婦と勘違いしたのかもしれないけど、いや、なんか絶対途中から違うって気付いてたよね??と感じました、どこにとは云いませんが膝をめり込ませたくなりますねぇ。
でも、きれいなんですよ、歌は…
また、舞台美術や演出もシンプルさがシャープで美しく、細く筆先で流れるように描かれた曲線美と動きのすべらかさが、多くの場面の佇まいを引き立ててくれます、きれい。
Pretty ladyも、女子の登場シーンがとてもすてきだし、たまての最期とかもう本当に美しくて。
あの美しさの余韻が下地にあって、その後の香山の変化がさらに違和感や寂寥感、何なら不快感すら与えます。
でも、海外の方は特に、あのたまての展開、え、何で!?ってならないんだろうか。
そして、登場人物は実在するけど、史実とは違うところもあるので、いろんな方々が云われているとおり「フィクション」として観るのがよいのだろうなと思います。
ただ、元はブロードウェイミュージカルということは、この舞台を観た海外の方は、まあまず「ノンフィクション」として観る可能性が高いのではと感じました。
ただでさえ「海外から見た日本のイメージ」が強く反映されているので、親和性があるものとしてすんなり「そんなものだろう」と自然と流れるでしょうし。
現代にあっても海外の方がこれを「日本ってこんな感じなんだろう?」と感じることすら皮肉になってるというか、そこにどこの国とか関係なく多くの場合に表層しか見ない「人心の浅さ」を突いてるというか、「てかオレら、別にこれがノンフィクションとは言ってないからね?笑」って声が聞こえてくるよう。
(まあ人間、常に深く考えてたらしんどいですからねぇ、生きるための要領といいますか…)
日本人がこれを観たら違和感は免れないけど、それすら織り込み済みで、最初から最後までまるっと皮肉、というか、日本人だとより細部の風刺に気付いてしまう、なかなか壮大な諷刺画を見せられた感じでした。
ラスト、山本さんに「Welcome to Japan!」って言われた瞬間なんか、もうほんと究極にうさんくさい!笑
お見事でした。
さて、夏目漱石の講演録の一つ『現代日本の開化』、国語の教科書に掲載されておりまして、その当時からすごく印象深くて、折に触れ、ふと思い出されるときがあります。
日本の開化は、自らの中から変化を起こしてきた西洋の開化とは違い、外からの圧倒的で多大な影響により否応なく開化したのであり、さらにかけられる時間も短い。
皮相を上滑るかのごとく、滑稽ではあるけど、それでもまずは涙をのんで上滑りに滑っていかざるを得ない、それを自覚しながら驕らず、メンタル病まない程度に少しずつ空っぽなうわべだけの開化に実体を与え変えていくしかないじゃんみたいな話だったと思います。
太平洋序曲を観て、何だかまたそれを思い出しました。
香山も好奇心はもちろんあれど、上滑っていたのだろうなと思います、焦りによる盲目さも、見え隠れしますし。
漱石曰くの、神経衰弱にどんどん陥っていきそうな気配。
たまては急速に変わっていく香山を見つめて、寂しさと同時に心配もしていたのだろうなと。
暗殺直前、「そうすれば、あるいは…」と呟いた将軍が、印象深かったです。
一方、ジョン万次郎の行動も、元は貧しい漁師が武士の身分を与えられ、自らの矜持を見つめ直し始める。
漂流時にその文化に触れ、あんなに憧れたアメリカ。
でも、アメリカを見知っているからこそ、上滑ってばかりいては日本は守れないという歯痒さも出てくる。
袂を分つことになってしまった友。
どちらが正しいとはいえない、パラドックス。
すべての責務から解かれて、安らかそうな香山がせめてもの救いでしょうか。
(あまり人間関係や経緯的なところがはっきりとは描かれない分、想像するしかないので、結構観てる側も疲れます)
Please Helloなどを見ていても、一見、全てが滑稽です。
上滑っても、滑稽だと謗られても、だったら他にどんな方法があっただろう、と漱石の言葉を見ても思うのです。
滑稽さを笑う側と恥じる側、どちらも所詮、滑稽っていうのが皮相をなでるようにサラっとした感じで提示されるのが、「どちらにも結局、感情移入できずに困惑する」という評価にも表れている気がします。
ただ、Next!とカジノディーラーがカードをさばくように、香山も万次郎も何もかもが次々に流されていく中に、それでも確かに生活を営み、人生を紡ぎ、ときには賭してくれた数多くの命が生きたのだということを忘れてはいけないと改めて思いました。
よくぞ生き繋いでくださったという感謝が、じわりとどこかから時間差で滲み出てくるのでした。