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名前など仮面でしかない

名前というのは分類だ。説明だ。というかそれ以外はない。例えば善という名前の人間が必ず正しい行いをしているとは限らない。どこかを探せば正という名前の犯罪者もいるはずだ。名は体を表さない。

動物はどうやって名前を付けられるか知っているだろうか?まず学名は簡単なプロフィールだ。例えばコアラ、学名はファスコラルクトス・シネレウス、袋を持つ灰色の熊という意味だ。つまり名前が説明を成しているわけだ。しかし動物園にいるコアラは最早コアラではない。「もん」だとか「めめ」だとか名前が付けられている。ちなみに学名ともう一つ名前があるのは、説明と慣例という違いだけだ。

なんでこんな話をしたかと言えば、なんでこのnoteの名前はヨーゼフKなのかという問題がある。そういえば言ってなかったなぁと思ったのでここで説明させていただく。と言っても勘の良い人はすぐわかるだろう。「あれ?これ審判に出てくるやつじゃね?」と

審判という小説はフランツ・カフカの長編小説で、ヨーゼフKという男が身に覚えのない罪で捕まり、裁判を受けるという不条理小説と呼ばれる小説だ。

僕は特段この小説が好きだという訳ではない。まぁ面白くないか、面白いかと言われれば、面白くないとは言わないが。

とにかく、このヨーゼフKが受ける不条理や彼の感じる莫大な不安とそれを誤魔化そうとする気持ち、そして抗えない大きな波というのが何となく自分の中に刺さるというか、残存していて、妙に気になってしまうからこの名前を付けた。

ちなみにほかのSNS はヨーゼフKじゃない。まぁ文章を書くからその願掛けとして小説内の登場人物にしたという一面も実際ある。

というかほかのSNSもみてほしいかもしれない。いややっぱいいか。いや、いや、いや...

一応リンクでも貼る。でも自由で。といっても元からすべては自由だけど。

と思ったけどこれ以外のリンクの貼り方知らないから、Twitterはプロフのボタンから、あとほぼ何もしてない無用の長物ことインスタはなんか適当に(一応名前はよろコンドル)この前も言ったけど読書メーターはハクビシンって名前で

まぁ一応よろしくとだけ言っときます。

羞恥心と期待の狭間からこんにちわ


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