消えてしまった記憶の中の貴女へ
2024年6月12日、突然LINEが届きました。
記憶にないグループラインでした。
最後の履歴は2021年1月1日。
あけましておめでとうのメッセージで溢れるチャット。
新しい通知とともにもたらされた事実は
とある女性の生が終わりを迎えたという知らせでした。
私は彼女のことを覚えていません。
名前も、顔も、どんな関係だったかも分かりません。
だけど、書かずにはいられません。
彼女に何を伝えたいのか自分でも分からないけれど、
彼女への言葉を紡がなければ。
これは、私から彼女へ向けた手紙です。
この手紙を読んでくださるあなたには、彼女と私のことを覚えていてほしいのです。
頭の片隅に、そんな手紙を読んだなあとたまに思い出してくれるだけでいいんです。
私が忘れてしまうかもしれないから、彼女のことを覚えていてほしい。
私のわがままを許してください。
もうこの世にいない あなたへ
初めましてがいいのかな、久しぶりがいいのかな。
あなたに私は何て声をかけたらいいのか分からないけれど
あなたのことをLINEのグループチャットで、これまた知らない人からのメッセージで知ることになりました。
あなたが私と年が近くて、同じグループチャットにいて。距離は離れていても同じ県内にいて、おそらく同じ高校時代を過ごした友人であると知りました。
そんなあなたは、もうこの世にはいないと知らされたのが、
今日6月12日の 午後2時を回った頃でした。
あなたは私のことを知っているかもしれないけれど、
私はあなたについてちゃんと話せるほどの記憶が残っていないから、少しだけ私の話をさせてくださいね。
今日、6月12日は定期受診の日でした
私はうつ病で、ストレス性健忘という記憶障害があり、精神科に通っています。
私に関わってくれた人には本当に申し訳ないんだけれど、
私は12歳頃から今までの記憶が、ないんです。
あなたのことも忘れてしまった私はとても薄情に見えるかもしれません。
実際にそうなのかもしれない。
けれど、あなたの訃報を知ることができたのは、過去の私があなたや周りの人たちと良い関係を築いていたからだと思います。
誰がメッセージをくれたのか、お名前を見てもわからないし、
あなたのお名前を見ても、顔も浮かんで来なかった。
これを薄情と言わず何というのか。本当にごめんなさい。
きっとメッセージをグループにくれた方も混乱していたと思いますが、
それでも、あなたとの別れを惜しむ時間を他の人にも教えてくれて、私は感謝しています。
LINEで会話をしている人たちは、バラバラの場所に住んでいて、家庭もあって、お葬式に行くことすらできない、申し訳ないと話していました。
私は会話に入ることもできず、ただただ、その人たちのやり取りを眺めることしかできなくて。その内容もなんだか頭に入ってこなくて。
薄情な私は涙一つこぼすこともできず、そのメッセージを見て「ただあなたがもうこの世にいない」ということだけが胸の中に渦巻いていました。
私がうつ病でなければ
記憶障害がなければ
ストレス性健忘なんて起こらなければ
あなたとお別れをすることも、悲しむこともできたのかもなんて、考えても仕方のないことを延々と考えてしまっています。
グループLINEの中で、あなたのことを「何でこの人が」「何でいきなり」
そんな風に話す人ばかりで、あなたはいろんな人に大切にされてきて、そして今も大切にされているんだなと思いました。
もしかしたら、本当なら、私もそんな風に言葉に出してあなたに伝えることができていたかもしれないと思うと、自分のことを恨んでしまいそうです。
あなたのたくさんの友人があなたを大事にしていて、
あなたは愛されていて。
きっと私もその中の一人で、あなたと友人だった、そんな気がします。
顔も思い出せない、名前もわからない、私なんかがあなたを友人と呼んでもいいのかわからないけれど。
こうして言葉にしてみたら、今覚えていなくても、
過去の私はあなたとのつながりを大事にしていて、それは高校の時から今までずっと繋がっていたから、LINEで知ることができたんだと思います。
おこがましいけれど、あなたの友人として、
一度でいいからあなたに会いたかった。
話をしてみたかった。
こんなことを言ったら、あなたを心配させてしまうかもしれないから、
もう言わないけれど。
どうかあなたは安らかに眠って、空の一番綺麗な場所で、
つらかったことも、苦しかったことも全部忘れて、
安まる場所で過ごして欲しいと祈っています。
理不尽に不平等に別れはやってくる
今回のことは、今日6月12日に起こった出来事を
そのまま書き起こしました。
そして、彼女への手紙として、ここに記します。
人間いつかは死ぬんだっていうことを分かっていたはず。
いざ誰か死を前にした時に、こうも冷静でいられなくなるのは、
まだ覚悟がないからなのかなと思いました。
親は私より必ず先に逝ってしまう。
生きてきた年数を考えれば当然のことだけど、当然と思っていることが
あっさりと覆されることもあるんだと、そういう理不尽さがこの世の中にはあるんだと改めて突きつけられた思いです。
私は12歳から今までの記憶がなくて、きっとその間に関わってくれた人たちのことを何かあったとしても、わからないでいるかもしれない。
ありがとうの一言も言えずに、お別れをしなきゃいけないかもしれない。
これはありえないことじゃないんだと思ったら、
叫び出したいような、胸が引きつるような、息苦しさを覚えます
私の記憶については特殊なことだけれど。
お別れをする時はたとえ覚えていない人でも、過去の私はちゃんと覚えているはずだから、ありがとうと一言でもいいから伝えたいと心から思います。
そして私たち人間は、いつかみんな死にます。
今日元気に話して、さよならをして、また明日会える。
当たり前のように思っていることが、当たり前なんかじゃない真実に、
みんなが気づかなきゃいけない。
感謝を伝えたくても、思いを伝えたくても、
「また明日会えるから」なんて絶対の保証は、ない。
その残酷な事実を受け止めなきゃいけない。
毎日顔を合わせている相手に、今更気持ちを素直に伝えるなんて、
こっぱずかしくてできないと思うけれど、今伝えなかったら?
当然のように来ると思っていた明日が
当たり前の毎日が来なかったら
絶対に後悔する
生きてるうちに伝えられるなら、その方がいい。
最期の最期、お別れのときに伝えられたら、それでもいい。
きちんと「さよなら」をしないと大切な人なら、なおさら。
自分が前に進めなくなるし、その大切な人も安らかな場所に逝くこともできないと思うから。
大切な人を苦しめたいわけじゃない。
安らかに眠って欲しい。
その気持ちはきっとみんな同じだと思うから、どんな形でもいい。
心の中で思い出すだけでもいい。
心の中でありがとうって言うだけでもいい。
最後まで読んでくれたあなたに伝えたいのは
大切な人には、ちゃんとお別れをしてあげてほしいということ。
残された側の自己満足かもしれないけれど、
あなたには同じ思いをしてほしくないと、思います。
最後に、私から彼女へ。
今までありがとう。
安らかにおやすみくださいね。
もう苦しむことのないように祈っています。
あなたの記憶に、「私」が残っていたら、「私」がちゃんと生きていた証です。 どうか、覚えていてくれますように。