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人間なのだから、文化的な暮らしをしたいのです。

こんにちは。
私のところでは、もう春の匂いが感じられるようになりました。
雪国で生まれ育ったので、2月に春の匂いが香ることにちょっと寂しさがあります。
きっと雪が恋しいんでしょうね。


今、絶賛春休み中です。
春休みに入ってからは、人生初の東京、ギャラリー巡り、卒展鑑賞、友達と散財パーティー(買い物)をしたり、カラオケオールして帰りにパン屋に寄ってピクニックをしたり、好きに過ごしています。
予定がない日は好きな時間に起きて、ご飯を食べて、YouTubeを見て、気が向いたら絵を描いたりデザインしたり、好きな時間に寝ています。
こんなことができるのも、大学生のうちだけだろうなあ

毎回こんな休み期間を過ごしていたかと聞かれれば、全くそうではありません。
去年の春休みは、それはそれは気持ちの悪いスケジュールでした。

予定が詰め込まれすぎていました。
サークル活動で大学へ、丸一日のバイト、友人とご飯、週2のzoom会議の参加…
ほぼ毎日何かしらの予定があって、自分の行動を自由に選択出来る日がなかったんです。
春『休み』と称しながら、家でほっと一息つけるような日はありませんでした。

当時の私は、「スケジュールが埋まっていること」に充実感を覚えていました。
カレンダーのアプリに予定がどんどん埋まっていくことが、忙しくしてる自分の証明となり、快感でした。
入学時から、「何かしていないと周りに置いていかれる」という意識がありました。
周りにはやる気の高い子たちが多かったし、「大学時代に何もしてこなかった人間」になりたくなかった。
だから、ちょっと意識高めのサークルに入ったり、色んなバイトを掛け持ちしたり、「特別な人間」でいようとしました。
経験の浅い自分がコンプレックスだったし、話のネタにもなると思って色んなことに手を出してきました。

でも、そんなの長くは続きませんよね。
去年の4月、体も心も動かなくなりました。
ベッドから動けない、1日1食が精一杯、好きな音楽を聴いても、何も感じない。
こんな状態の自分が虚しくて泣きたいのに、涙も出ない。
「特別な人間」どころか、「人間」ですらなくなってしまった。
「本当にやりたいこと」に向き合わず、自分を一番後回しにした人間の末路です。

別に忙しくしてるのが偉いわけではないんです。
スケジュールが埋まっていることが偉いわけではないんです。
複数のタスクを同時にこなすことが苦手なくせして、見栄を張ってしまった。
何もできることがない自分に気づくのが怖くて、無理をしてしまった。

動けなくなるまでに学んだことは、無駄ではなかったと断言できます。
ですが、昔の私のようにスケジュールが埋まることに喜びを覚えてる人には、一度立ち止まってほしい。
自分が本当に喜んでるのだろうか、もっと楽しいことはなんだったか、考え直してみてほしい。
何をしていたら楽しくなるのかわからなくなってしまった自分のようになってほしくないです。

今では、本や漫画を読んだり、映画を見たり、散歩したり、絵を描いたりすることが、少しずつできるようになってきました。
時間と心に余裕を持つことで、何かを感じ取る・考えることに対して素通りすることが減りました。
自分の感情に素直になれるし、変な感情に惑わされることが少なくなります。
忙しくしていると、感じ取ること、考えることを忘れてしまいます。
それを続けていると、考えることをやめた中身のない人間になってしまいそうで、一番怖かった。

何かを頑張ることってすごく素敵なことです。
でも、そればっかりじゃなくて、文化的な、自分の心を喜ばせられるような過ごし方を、自分で選択できるようになりたい。
これに気付けたのが、就職する前で良かったなあと本気で思います。

日本人って頑張り屋さんがとっても多いと思います。
休む、自由に過ごすのもすごく勇気がいります。
その勇気をちょっとだけ出して、文化的な暮らしをしてほしい。そして自分もそういう人間でありたい。
そう思う春休みでした。


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