当たり前の感覚を共有できない海外生活でのもどかしさ。-「ごめんね」のその一言があればよかったのに-
ワーホリでオーストラリアのメルボルンに来てから、早2年半が経過。
普段は比較的穏やかに楽しく過ごしているのだけれど、先日わたしの中でのブチ切れ大事件が起こった。
わたしは滅多に他人に対して、怒ったりブチ切れたりすることはない(と少なくとも自分の中ではそう思っている。笑)。
もちろん、多少なりイライラを感じたりは人間なのであるけれど、「怒り」や「憤り」という表現に至るほどの感情を抱くことはほぼない。
喜怒哀楽でいうなら、私の場合の割合は”怒”の感情のパーセンテージは本当に低めなのだ。
でも、先日わたしは憤っていた。心底憤っていた。
大抵のことは、もう!!なんだよーー☹️🙁とは思っても、自分の中でだいたい上手く処理できる。
このメルボルンの多文化社会の環境で働いていたら、自分の中での当たり前が当たり前であっても、彼らにとっては全然当たり前じゃないことは多々ある。日本の当たり前は、割と世界では一般的ではなかったりするのだ。
だから、私の”普通”の感覚が共有できなかったり、理解されずにストレスを感じるのはまぁよくある。それにももう多分慣れすぎた。そうではないと、ここでは生きていけない。
みんな、それぞれが異なるバックグラウンドを持ち、異なる文化を持ち、異なるそれぞれの”当たり前”や”普通”によって育ってきたのである。日本の中でさえ、その当たり前は人によって違うのに、国が違うとなれば、尚更のことなのかもしれない。
それでも、先日起きたこの事は自分の中では受け入れ切れなかった。
普段は滅多に抱かない、”怒”という感情とちょっと冷静になった今、せっかくなので向き合ってみようと思ってこの noteを書くことにした。
そして、次回またそんな感情を抱きそうになった時、解決の手立てか何かになればいいなと願いもこめて。笑
でもさ、人間なんだもの。
たまにはそんな感情抱くことはあるし、別に怒りたいときには気が済むまで怒ればいいじゃんとも思っている。笑
もちろん出来ればあまり抱きたい感情ではないけれど、生きていれば大小あれど、いろんなこと起こるからね。
でも大切なのは、多分その感情をどう扱うかと、その状況をどうコントロールすればいいかを自分なりに知っておくことは、大事なことだと思う。
以下には
・ブチ切れ大事件の内容
・そこまで私がブチ切れた原因の理由と考察
・友人たちからのアドバイス
・”怒”の感情の向き合い方とコントール
などを書いてみたい。
最近誰かにブチ切れたそこのあなたが「分かるわかる、分かるよ、その気持ち」と読んでもらうのもよし、
滅多に怒らないそこのあなたが、
何をそんなにくだらないことで怒っているんだ🤣と笑うのもよし。
興味本意で読んでみるのもよし。
よかったら、ぜひコメントでこの事件に対してあなたはどう思ったかの、率直な感想も教えてくれたら嬉しいです。
そんなことでブチ切れるなよ〜🤣
ブチ切れて当たり前よーー🤣😂
などなど、何でも自由にどうぞ。笑
では、いってみよう、私のブチ切れ大事件事件簿スタート!!!笑
(出来る限りなるべくポップに書きたいと思っている。笑)
ブチ切れ大事件の発端
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