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雛壇から見える景色とは

「将来的にはさ、こういうところに預けたほうがいいんちゃうんかな、と思ってて。そっちのほうが幸せなんちゃうんかなあ、と思って」

預けられる?
しあわせ?
どういうことなのでしょう?

タケ子さんの言葉に、わたしはそう思いました。

「でもな、これはあんたのおじいちゃんが、あんたのために、っておばあちゃんと一緒に買いに行った、大事な大事なものなんやで」と大奥様。

「わかってる、わかってるけど、想いは十分すぎるほど受け取ってる」

「ほんなら、ウメくん(弟)ところに持って行ったらええやん」と、奥様。

「なんでそないなるんな、おかしいやろ、話が。奥さん3姉妹で育ってるねんから、持ってはるに決まってるやん」


「とにかく。もしこの先、わたしが万が一結婚できたとしても、ずっと独り身やとしても、そっちのほうがいいと思うねん、今後のこと考えたら」

それからも3人のあーでもない、こーでもない、というお話は続いています。

わたしたちの目の前で、わたしたちの話をされるというのは、なんだかあまり心地よくないものなのだなあ、ということを、この時知りました。
でも御三方はわたしがそんなことを思っているとは露知らず。
それは、わたしが雛人形のお雛様、だからです。

 🌸

わたしは、奈良県のとあるところからやって参りました。ハナムラ家と関わるようになって、大体30年以上になります。いつもは大奥様の家の箱にしまわれています。

先ほど大奥様がおっしゃっていたように、30年以上前、大旦那様と大奥様が、初めてできたお孫さん、タケ子さんに雛人形を贈ろうと、はるばるやって来られて、わたしたちを迎え入れてくださいました。それから桃の節句が近くなると、ハナムラの家で、わたしたちは毎年雛壇に飾られました。


桃の節句の時期しか、皆様のお顔は拝見できませんでしたが、大旦那様はいつもニコニコした顔で、タケ子さんを抱っこしていました。タケ子さんがその写真を今も大事に持っていること、わたしは実は知っています。

まだ幼かったタケ子さんから見ると、わたしは遠い存在だったのでしょう。いつも不思議そうに、わたしを見上げていました。

桃の節句を迎えるたび、タケ子さんは大きくなられました。幼稚園、小学校。タケ子さんと、弟のウメさんが大きくなられたので、わたしたち7段を飾る場所がなくなってしまい、この頃から殿とわたしだけが、皆様のお顔を拝見するようになりました。タケ子さんは中学生になると、セーラー服を見に纏って、わたしたちのそばにいらっしゃいました。しかし、だんだん部活やお勉強などで忙しくなり、高校生になると受験だのなんだので、わたしたちと目を合わせてもくれなくなりました。わたしたちは、少し怖がられていたのかもしれません。夜中のお勉強中、何度もわたしたちを振り返って、動いていないかを、確認していましたもの。あんなに小さかったのに、背丈ももう、わたしたちと一緒ぐらいにまで、大きくなられました。


タケ子さんが社会人になって働き出し、25歳ぐらいになると、大奥様と奥様の顔を拝見する機会が増えました。大奥様も奥様も、真剣な顔でわたしたちに向かって、

「お願いです、どうかどうか、あの子が結婚できますように」

と手を合わせるのです。こればかりは、少々参ってしまいました。確かに、ひなまつりは女の子の健やかな成長を願い、「将来幸せな結婚ができますように」と、雛壇は結婚式を模したような飾りとなっています。しかし、これは大体江戸時代から。もともとは男女関係なく、「邪気払い」「厄除け」という意味での風習だったのです。なので、わたしたちにタケ子さんを結婚させる力は持っていないのです…。こればかりは、正直、タケ子さんの気持ち次第、のところもございまして。

もちろん、タケ子さんの願いを叶えてあげられたら叶えてあげたい、という気持ちはありました。亡くなった大旦那様も、きっとそれをお望みでしたから。


奥様は特に熱心でいらっしゃり、この頃になると丹精込めてちらし寿司をつくり、「大丈夫、あんた結婚できるから」や「わたしは転職より早く結婚してほしい」と、タケ子さんに事あるごとに伝えていました。
タケ子さんは困惑しているようでした。


そして、「これ以上婚期が遅れたらあかん」と、わたしたちは次の日か次の次の日、いつも早々、箱にしまわれました。そのうち、タケ子さんの同級生が結婚、出産などのラッシュになり、そのたびに奥様は、「誰々が結婚した」「誰々が出産した」「早く彼氏つくりや」と、タケ子さんに言うようになりました。こんなに言ってるのに、一向に行動に移そうとしないタケ子さんに、奥様は「情けない」と一言怒ったように言うときもありました。タケ子さんは、悲しそうな顔をしていました。

タケ子さんは、わたしたちを明らかに避けるようになりました。周りの考えと、自分の考えのすれ違い。なんだかわたしたちを見ると、とても辛そうでした。

わたしは誰も悪くないと思います、奥様も、大奥様も、タケ子さんも。それぞれもっている考えが理解できなかった、そして、ただお互いの気持ちがすれ違い、どんどん合わなくなっていった、それだけだったと思うのです。しかし、タケ子さんはそうは考えられていなかった。

そのうちタケ子さんは実家を出られ、自分の暮らしを始められました。
全て身の回りを奥様に任せっきりだったタケ子さん(わたしもそうですね)。
まず自分の足で立って、生活をできるようにする。
それを「幸せ」だと考えているようでした。
箱から話を聞く限り、タケ子さんは結構楽しく生活をしているようでした。もちろん最初は知らないこと、できないことのほうが多いようでしたが、知らないことを知っていくことや、できないことをできるようにしていくことが、新鮮に思えたようです。

最初、「実家を出るなんて何を考えているんだ、わたしはこの家から嫁に行ってほしい、恥ずかしいからやめてくれ」と取り乱していた奥様も、今ではすっかり落ち着かれました。

わたしの前で鬼の形相で拝む、ということもなくなり苦笑、穏やかな顔で見守られるようになりました。

あ、今年のちらし寿司はスーパーで買ったものを食べる、などとおっしゃっていましたねえ。そっちのほうが手間もかからず、実は美味しい、と。今年、タケ子さんには、そのちらし寿司と、ケーキを持っていかれたそうです。

  🌸

「福よせ雛プロジェクト」

タケ子さんは、お二人にスマートフォンの画面を見せて、こういうプロジェクトがあることを、熱心に説明していました。

お雛様は、節句人形として持ち主様の健やかな成長を見守る役目と日本の節句文化の伝統を受け継ぐ役割を担っています。「福よせ雛」は、各家庭でお雛様としての役目を終え、人形としての第二の人生を楽しんでいる人形たちなので、お雛様の既成概念にとらわれずに、現役のお雛様時代にはできなかったいろいろなことにチャレンジしたりしています。ですから、現役のお雛様と福よせ雛は姿は同じでも全く異なる人形なのです。


どうやら、現代は複雑な事情もあり、タケ子さんのように考える人も少なくないようです。

わたしはその画面をこっそり見ながら、(実は目がいいんです、わたし)こういう世界があるんだー!と思いました。
麻雀をしたり、新聞を読んだり、お客様とお喋りしたり…。皆さま、なんだか楽しそう。わたしはいつも、お殿様の隣にいました。その世界しか知らなくて、ハナムラの家しか知りませんでした。それがいわゆる「しあわせ」かどうかもわかりません、だってそれが当たり前で、その世界しか知らないのですから、比べようがないんですもの。

でも今の時代は、全然違うようですね。
自分次第で行こうと思えば、行けるチャンスがある。わたしたちのような、雛壇だけの世界だけが、「しあわせ」じゃないようです。まあ何百年も経っていますからねえ、そりゃ変わっても当然かもしれません。


タケ子さんは、雛人形のこういった生き生きとしている様子をご覧になって、将来的に自分が持ってても、表に出してあげなかったらかわいそうじゃ ないのか、と考えたようです。

セカンドライフ、第二の人生。

わたくし、想像したことがありませんでした。雛壇を降りた世界とは、一体どのようなものが見えるのでしょう。



今年はわたしたち、珍しくまだ雛壇に居ります。

こんなに長く居るのは初めてかもしれません。

そういえば、わたくし、桜というものを実際に見たことがありません。
今年はもう咲いているところもあるそうですが、桜とは一体どのような花なのでしょう。
いつもこの季節が来ると、桜は美しい、と皆さま絶賛されます。
わたしも桜、見てみたいものです。
行幸お花見なんかも楽しそう、ですがこのご時世、まだ難しいでしょうか。

さぞ、美しいことでしょうね。


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今回参考にした文献

※福よせ雛プロジェクトのホームぺージ:

インスタやTwitterでも、生き生きしたセカンドライフを見れるんですけど、はっちゃけた感じがかわいくて面白い…!

なんと、鳥取県日野町ではお雛様に住民票も出してくれるそうな。


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