衝撃!小学生に成績は害でしかない理由
12年間小学校の教員をしてきたが、ボクが最も嫌いな仕事
それは、成績だった。
決して「成績をつけるのが大変だから」といった意味ではない。
ボクが成績をつけるが嫌だった理由は
「子どもの健全な成長を阻害する」
そう感じていたからだ。
では、なぜボクが「成績は子どもの健全な成長を阻害する」と感じていたのかその理由について話していきたい。
学びの本質を奪う
ここで教員時代に出会ったBさんの話をしよう。
Bさんは絵を書くことが大好きな女の子だった。いつも休み時間には教室で絵を描いて過ごしていた。
そんなBさんの口から驚く言葉が出てきた。
「わたし絵を描くの苦手なんだよね」
ボクは耳を疑った。「なんでそう思うの?」反射的に理由を聞いてしまった。
「だって、わたし図工でAとったことないもん」
その瞬間、成績が植え付ける自己イメージの恐ろしさを知った。そして、とても悲しい気持ちになった。
「成績は子どもの純粋な学ぶ喜びを奪ってしまうんだな」そう感じた。絵を描くのが好き!そんな純粋な心を、大人が勝手に持ち出した物差しでぶっ潰していいはずがない!
ボクはそれ以来成績をつけることが苦痛になった。
比較を生み、関係性を壊す
成績を渡すと、必ずといっていいほど子どもたちの中で行われるものがある。
そう、「周りとの比較」だ。
「お前、Aの数何個あった?」
この言葉を聞かないことはなかった。そりゃそうだよね。比較できる環境をつくれば、みんな周りの成績が気になるよね。周りとの比較の中で、自分の立ち位置を把握したくなるよね。
そんな比較したくなる環境をつくり出しておいて「みんなちがってみんないい!」なんて金子みすゞの詩を持ち出して力説したところで総スカンを食らうだけだ。
みんなそれぞれの個性を認め合い、それぞれ協力し合っていたクラスなのに、成績を配った瞬間になんだか安心感が薄れていく。急に宇宙空間に飛び出し、息ができなくなったような感覚だ。
「お前Cついてんじゃん!ダッセー」
「わたしAが10個もある。すごいでしょ!」
そんな、なんだか殺伐とした空気感がどことなく流れる。
また、成績を手渡すその日だけは、ボクと子どもとの関係も評価者と被評価者になり、なんだか胸糞悪い感じがする。
「主従関係を植え付け、トップからの命令に従順な平均人間を育てよう!」そんな戦前の富国強兵時代と何も変わらないではないか。ボクは教育者になりたかったのであって、管理者になりたかったわけではない。そう感じていた。
「Aの数なんて気にするな!Cがあったっていい!大した意味はないんだよ!人間の価値を決めるものではないんだよ!」教員として成績を手渡しながら心の中でそう叫んでいた。
12年間、何度も成績を渡してきたが、ボクの中にある「子どもの成長を阻害してしまう」という罪悪感を拭うことはできなかった。
劣等感を育てる
そんな罪悪感をさらに強めていたのが、Cをつけなければいけない時だった。必ず成績をつけていると、どうしてもCがついてしまう子どもたちがいる。
ただでさえ苦手意識をもっているのに、、、そんな苦手意識を持ちながらも一生懸命学校に来て勉強しているのに、、、。
そんな子どもたちに、なぜ「Cというとどめの一撃」を教育者である先生が食らわせなければいけないのか、、、。
当時の管理職は「もっと頑張ろうという励ましのCだ!」と訳のわからない言い訳をしていたが、そんなの納得できるはずがない。
そんな手荒な激励の仕方があるか!そんな言葉で自分を奮い立たせることができる力があるのなら、そもそも鼻から頑張れているでしょ!そう感じていた。
そんな子どもたちに成績を手渡すのは本当に辛かった。もちろんボク以上にCを食らった子どもたちは辛かったと思う。
その子なりに頑張っていたならAをあげたっていいじゃないか。過去の自分より成長できたならAだっていいじゃないか。
評価の基準が個人に起因するのなら比較だって起こらない。自分との戦いになれば、劣等感や変な優越感なんて生み出さない。健全な成長に欠かせないのはAをとることよりも、自分なりに頑張れた!という主観的な気持ちだ。
まとめ
今の日本の成績が及ぼしている負の側面について話してきたがいかがだっただろうか。
教育は子どもの成長を促すものでなければならない。ましてや成長を阻害するなんてもっての他だ!そういった意味で今の成績制度は駆逐すべきだと思う。
そもそも、人間は凸凹があるから面白い。それぞれに得意なことや苦手なことがあり、それを認め合いながら協働して暮らしていく。そんな精神を、成績という大人の都合でつくり出したまやかしの序列システムで壊していいはずがない。
複雑にできている人間の能力を点数化するなんて不可能なのだ。教育先進国であり、幸福度の高いことで有名なフィンランドやデンマークだって遠の昔に序列、抽出型のテストや成績制度なんてやめている。
早いとこ日本も今までのやり方から脱皮して、子どもファーストの制度にチェンジしていくべきだ。
子どもたちが、自分らしく豊かに成長していけるシステムになることを願っている。
以上、ガクせんでした。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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