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オワコンな日本(?)を生き抜くための心構え

昨今、令和時代はヤバいとか、日本はオワコンだとか
日本に未来はないよね、とか巷でよく言われている。

まぁ、それは正しいのかもしれない。
だが一方で、オワコンだからといっても
日本が消えてなくなるわけではないはず。
我々は、そして我々の子孫は
例え日本がオワコンだろうが、生きていくんだろう。
なんらかの生業を見つけて、営みは続けていくだろう。
生きやすいか、生きにくいかは別として

今日はそんなオワコンな時代でも
「生きやすい」生き方について考えてみたいのだが、
キーになるのはやはり「多様性の尊重」ではないかと思う。

世界の流れや経済の動向を見るに
日本における貧富の差は今以上に広がる可能性は高い。
それは「日本人の貧富の差」だけというわけではなくて・・・

今後、技能実習生等と称した実質的な移民が今以上に増えるだろうし
更には欧米はおろかアジアの資本が日本を「買いに来る」だろう。
日本人が(奴隷の様に)こき使うための外国人が増えるだけではなく
日本人よりもっと裕福な中国人や、
ベトナム人なんかが今以上に国内に増えていくんじゃないかと思う。

街中だけでなく学校、会社で外国人に関わる機会も増える・・・
というか、僕の住んでいる地域では既に関わらない日はないくらいだ。
そして、この流れは加速すると思っている。

要するに、現状の東南アジアの国々のような、
カオスな国になっていくのではないか、と思う。

すると今までは「コンビニの店員さん」として
表面的に付き合うだけで良かった外国人と
級友として、ご近所さんとして、同僚・上司として
ある程度深く関わる機会が増えるのだ。

その際に国籍による文化の違い等がいちいち気になるようでは、
おそらく生き辛い気がする。

文化の違いだけではない。
貧富の差によるライフスタイルの違いもそうだ。
令和は一億総中流を気取っていた昭和後期の時代とは違う。
金のあるなしは勿論、リモートワーク出来るかどうか
職種・業界の差、子供はいるか、結婚はしているか・・・
そういったものを気にしている限り、
あらゆる差異がナイフのように、自尊心を傷つけてくるだろう。
これでは、生きづらい。

ならばもう「気にしない」のが一番だと思う。

人は違う。性格も、性別も、国籍も、職業も、金銭のあるなしも。
人には一人ひとり個性がある。それを認めるべきだろう。
人と違うことを、受け入れる必要がある。
自分は自分と、自立したアイデンティティを持ち、
他者のアイデンティティも尊重する。

多様性を尊重するとは、そういうことなんだと思っている。
これができれば、幾分か生きやすいのではないだろうか。

ここで難しいのは「気にしない」ことと「どうでもいい」ことの違いだ。
気にしないことは重要だと思うが、
どうでもいい…まで言ってしまうと過剰な気がする。
お互い理解しようというプロセスすら踏まず、
どうでもいいで済ませてしまえば分断社会が加速するだろう。

価値観の違う他人を理解しようとするのは、ストレスがかかる行為だ。
理解するのは難しいかもしれない。
しかし歩み寄りの姿勢すら見せず「どうでもいい」と匙を投げてしまうのは
(楽だが)あまりよくない事だと感じる。

国籍・貧富・階級で社会が分断され、一部の人間は我が世の春を謳歌し、
情弱と庶民には酒とドラッグ、SNSでも与えておけばいい
そういう社会になってしまう・・・(いや、もうなってるか?
それは、僕はなんとなく嫌なのだ。

繰り返しになるが、価値観の違う他人に歩み寄る行為はストレスがかかる。
嫉妬あるいは侮蔑のような、様々な負の感情が湧いてくるからだ。
裏を返せば、多様性を尊重するためには、
このストレスに耐えられる程度のメンタルの強さは必要ということになる。

これが結構大変なのかもしれない。
僕にできるだろうか・・・。

最後までお読みくださり有難うございました。






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