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私はあなたの一部しか知らないし、あなたは私の一部しか知らない

誰だって相手によってキャラクターを変えてる。
いくら親しい相手でも、自分の100%を曝け出すなんてことは無くて、多くても40%くらいなのではないだろうか。


…いや、愛する大親友には70%くらいは出しちゃってるかも…


…まぁ仲が良い方の数値はいくつでも良いとして。


「付き合わないといけないけど、この人とはあまり近付きたくない」と思えば、MAX5%くらいしか自分を出さない。

付き合いがどれだけ長くなろうとも、5%しか出さない相手は、いつまで経っても私の5%しか知り得ない。

どれだけ会話をしようと、5%の範囲でしか話さない。
そして、相手からも5%程度の情報しか聞き出さない。
その場の会話が成り立てば、それで良い。

そういうのって大人なら当然わかるものだと思ってた。

でも付き合いが長いからって、『よく知ってる』と勘違いしてしまう人もいるんだな。
付き合いが短いとしても、その短い期間での印象をその人の全てだと決めつける人もいる。
そして「私たち」という主語で仲間にされてしまう。

いや、私全然そんなんじゃないです。

「えっそうなの!?意外!」

そう言いながらも、その人の記憶が塗り替えられることはなく、また「私たち」にされてしまう。


私が私を5%しか出してないんだから、私を分かってないことは問題じゃ無いし、それが普通。

ただ、私を分かってないということを、分かっていて欲しい

私もあなたを分かってない。
だから断言する言い方はしない。
「私たち」って仲間にしない。


私は、そう思うよ。



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ガラスのココロ
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