万年筆で書くことの違い
Pilot製の万年筆。名は『KAKUNO』という。
Pilot社の油性ボールペンを探してして、偶然目にしたもの。
興味本位で買ってみたが、これがなかなか興味深いものだった。
印象の違い
不思議なことに、ボールペンと万年筆とでは筆記の速度が変わる。
変わるというか、変えているのは自分であるから奇妙な表現ではあるが。
万年"筆" という語源を調べるとそちらに認識が引っ張られてしまい、自分の感覚とずれてしまいそうなのでこのまま書くことにする。だから正しい情報はwebででも検索して頂きたい。
この "筆" という部分が興味深く、それでいて説得力を持っている。そんな気がしている。
ボールペンで書くよりもゆったりとした運びになり、ちょっと書道でもやっているような感覚。
ー 単なる錯覚かもしれないが ー
そんな気分になる。
ボールペンを使っていると、ジャーナリングの行為は言葉を吐き出すような荒々しく、勢いに任せた風になる。
これはこれで1つのジャーナリングの形であり、頭の中を高圧洗浄器で洗い流しているような気分にしてくれる。悪くない。
一方で万年筆。
心が凪いでいる。スッとその状態に落ち着く。荒々しく吹け上がるエンジンが、急にEVモードに入ったような状態になる。
文人たちがそれぞれ拘りの万年筆を使う理由。その一端がわかったような気がした。不思議な感覚だ。
ー 力みが抜け、穏やかな気分に導かれる。 ー
ジャーナリングは "書く瞑想" と言われている。
ならば万年筆はその瞑想の道具として、選択肢に入れるべきではないだろうか。
もちろん、全ての人が同じ感覚でないことは当たり前であるし、道具の好みだって違う。
それでも一個人として万年筆を使って感じた心のトーン。これがスッと静寂側へ引き寄せられた感覚というものを共有してみたく、筆を取ってみた次第。