新たなステージの扉の前。
これは先日受けた体験セッションで
講師から言われた言葉。
話の論点がズレる
そこに近付こうとすると
話を別の方向にずらそうとする
説明が回りくどい
とも言われた。
おそらく
自分の話は伝わらない
話しても分かってもらえない
理解してもらえない
というようなブロックがあるでしょうね、と。
それもかなり強固に。
だからご主人と噛み合わないのでは、と。
正直これはまあまあショックだった。
なぜなら自分の話が分かりづらいと
自分では思ったことがなかったし
今まで生きてきて指摘されたこともなかった。
人間関係で大きく揉めたこともない。
むしろよく分かる、と言ってもらえることの方が
これまでの人生では圧倒的に多かった。
主人にもあまり言われたことはない。
普段は。
どういうことかというと
喧嘩も含め真剣な話し合いや
意見を交わす時、感情をぶつけ合う時に
「言ってる意味が全く分からん」
と言われることが多々ある。
ちなみにそういう時は私も主人に対して
「こいつは宇宙人か?」
と思っているので完全にお互い様である。
視点、価値観、表現の仕方がそもそも違うので
それはまた別の話として。
とにかく私がこんな風になる相手は
今のところこの世で2人。
主人と母である。
要するにこれはとても近しい人
つまり自分が一番理解して欲しい
と思っている相手との間で起きている。
そしてこの
話の論点がずれ、
本質を避けたような回りくどく
伝わらないような説明をする
そんな人を知っている。
母である。
主人との関係を通して
母との間での未消化なものを
繰り返しているであろうことは
火を見るより明らかなわけで。
確かに母に対して
この人に言ってもしょうがない。
理解できんしなあ。
と最初から諦めた気持ちがある。
そういう気持ちがあることすら
書きながら自覚したレベルで
当たり前の感覚として自分の中にある。
つまりこれは
諦めに至るまでの自分の悲しみを
丁重に扱ってこなかったことを意味している。
正確には丁重に扱うことができなかった。
なぜなら
毎日のようにそんなことをしていたら
悲しみで心も体も疲弊し生きていけないから。
だから蓋をして生き延びることを選んだ。
深刻に聞こえるかもしれない。
確かに深刻な側面もある。
でもシンプルな話でもある。
その時できなかっただけで、今ならできる。
これは自分に対しての信頼でもあるのでは?
だって今の自分なら
この蓄積されてきた悲しみに
気付くことができる
それを昇華することができる
だから自分の中の自分が
サインを出してくれているんじゃないか。
そのサインは
しんどかったり辛かったりするけれど
じゃないと気付かないから。
潜在意識とかインナーチャイルドとか
人や界隈によって色々呼び方はあるけれど
このサインは要するに
自分に対しての愛なんだろうと思う。
すごい綺麗事みたいな締めくくり。
きっとこの文章読み返して
自分で虫唾が走る日が普通にあるだろうな。
でも間違いなくサインだ。
それを無視するのも拾うのも自分の自由。