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東京国立近代美術館:ハニワと土偶の近代

先日、東京国立近代美術館で行われている企画展、ハニワと土偶の近代に行ってきました。
ハニワや土偶について詳しくないので、
ハニワや土偶というと、縄文時代とか弥生時代の遺物なんじゃないの?って思っていたのですが
これが行ってみると、えっ?!ハニワってこんなに日本の美術に影響与えていたの?!
ってなりました。
いや、ハニワってすげーーー。

実物はほぼなかった展覧会

この展覧会では先ほども述べたように、埴輪や土偶をテーマにした展覧会ではあったのですが、本物の埴輪と土偶を中心とする展覧会ではありませんでした。
本物の埴輪は2体のみ、土偶の展示はなく、埴輪や土偶を描いた、もしくはモチーフにした絵画や工芸、デザイン、造形物など、埴輪や土偶の「イメージ」を扱う展覧会でした。

ここでフォーカスされたのは、埴輪や土偶が注目を集めた一時期に、なぜそのブームが起きたのかということです。
埴輪は戦前は戦意高揚にも使われ、戦後は平和国家としての復興と結びつくなど、出土遺物が注目を集め、表象される際にはいつも様々な背景があった。本展ではその変遷を明治から現代までの豊富な作品や資料とともに展示されていました。

展覧会の内容

全部は覚えてないので、印象に残ったものを箇条書きで出していきたいと思います。
・ハニワと神話の結びつき
・ハニワと戦争の関係
・近代国家を築く上でのハニワの役割
・ハニワと抽象画
・ハニワとキュビズム
・ハニワのキャラクター化
です!
以下に自分の感想と共に述べていきたいと思います!

ハニワと神話の結びつき

芥川(間所)紗織《古事記より》 1957

古事記の神を表現した作品はかなり印象的でした。
ハニワの顔のつくりやなめらかな身体ラインは神話を表現する際に参考とされているそうです。
そう言われてみると、たしかに弥生の人を表現した絵の表情や身体の作りって似ている部分があるかも・・・って思いました。

ハニワと戦争の関係

第二次世界大戦、国を挙げて戦争に突入していく中で、ハニワの顔は日本人の理想として教育にも用いられたそうです。

蕗谷虹児《天兵神助》 1943

倒れた航空兵士を助ける人物が武人埴輪のような姿で描かれた蕗谷虹児《天兵神助》(1943)は、神話世界を古墳時代の風俗で描き、古事記・日本書紀が聖典とされた戦時下の特徴であるそうです。

ハニワとキュビズム

左:斎藤清《土偶》 1959 
右:斎藤清《ハニワ》 1953 


長谷川三郎《無題—石器時代土偶による》 1948



ハニワとキュビズムが結びついた斎藤清の作品や、土偶を描いた油彩やデッサンを多く残した長谷川三郎の絵画も展示されていました!
古代と近代の融合された作品を見て、当時、発掘されたハニワというのは社会的な影響がとても大きいことがわかりました。
また、世の中が発掘作業に興味関心を強く持っている時代なのだということを感じました。

ハニワのキャラクター化

年表を用いて、ハニワや土偶が現代のサブカルチャーでどのように取り扱われているのかについてまとめられたものがありました。
ゲームや漫画、アニメなど多岐にわたって用いられていました。
印象的には、土偶はわりと悪役に使われて、ハニワにはマスコットキャラクター的な立ち位置のものが多いなと感じました。


今回特に感じたのは、終戦後に日本人のルーツを説明する際に科学的な根拠として、ハニワが用いられていたことが印象深かったです。
戦争に敗れ、GHQによって黒塗りになり、古事記や日本書紀が教科書から消えた際に、代わりに現れたのがハニワなのかなと思いました。
ハニワを通して、日本の歴史を語られていた部分がたくさんあることを知ることができてとてもおもしろい展覧会だと思いました!

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