適当な自分は許せない?
子供の頃
私はしっかりしてないと
愛されないんじゃないか?って思ってた。
ま、勘違いなんだけどさ。
けど、それくらい何か一生懸命やらないと
母はいつも怒ってたなぁって印象が強いんだよね。
私は怖い顔を見たくないし
いい子でいようと必死だったから
「しっかりしよう。」「しっかりしなきゃ!」ってのは
その頃の私の心の中の口癖だった。
でもね?
大人になってもそのクセって染み付いてるのか
認め切れるすとん、とした腑に落ちる感覚がないからなのか
実は今でもある。
だからその時は自分とゆっくり対話することにしている。
落ち着くのは時間かかるけど
最近、堕ちる度に話していたらそうでもなくなってきた。
それは
自分が自分と向き合ったから、というのもあるけれど
同時にそうしていくことで
周りにいる身近な人も
「別にそれでいいよ」と赦されたのも、総合してよかったんかなぁって思うのだ。
それでも
「しっかりしないと」
は月末にはよく現れてくるのだけれど
どっかで多分
持病があるからなのか、
「栄養摂らないと」
「しっかり食べないと」はここにもいて
しっかり食べてるけど
自分の望むものは食べれてなくて
たまに悲惨な時は
お米だけ、とか。
調味料もほとんどなくって
何回か泣きそうになって
でも、生き延びなきゃ!ってしっかりしようとしてるから
月始めの私は
いつも、ぼーっとしてた気がする。
それは今も時々あって
失敗続きで凹むこともあって
だけどちょっと前進して
時々ないばかりを見て後退して
だけどそれでも…
今の私は、こう思うのだ。
しっかりしてなくても
マイペースに生きてる人が隣にいて。
お金管理が出来なくても
一生懸命計算頑張ってくれる人が横にいて。
私が適当なこと言っても
許しちゃおうと言う人が1人でもちまっといるだけで
ありがとーって
ゆるめる世界があることに感謝しまくってる!って。
綺麗で正しくあることが全てじゃないから
自分という人を自分が潰してしまわずに
適当に。
息を抜いてゆるゆるいける世界が
あー、楽だなぁーって思うから。
私はもっとしっかりさんを
少しずつ手放して、元々あったテキトーさんで
歩いて行きたいなぁと思う今日この頃。
だってだって本当の私は
しっかりきっちりって、苦手なんです。
昔祖父に言われまくった
「ばかだなぁ」
「しょうもないねぇ」
バカにされまくったそんな自分に
今はなるのが夢なのだ。
内に見えてる自分を
もっともっと受け入れてあげたいのだ。
綺麗でなくていい。
いい子じゃなくてもいい。
自分が元々持ってる自分を愛して
テキトーに。
息をゆっくり吐いてダラダラする時間を持って
ゆるーく生きよう。
そういうとこを「しっかりテキトーに」やりたい(*´ ˘ `*)ウフフ♡
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