壮大な地殻変動がもたらしたもの【都道府県シリーズ第2周:岐阜県 山県市編no.5】
都道府県ごとに地形・地質を見ていく「都道府県シリーズ」の2周目。
岐阜県山県市南部の山地は、西北西ー東南東方向に連なり、その山地は市外にまで広く発達しています。
これらの山地は硬いチャートで出来ており、そのチャートはほぼ垂直で壁のように分布していることが分かりました。
果たして、これが谷中分水界とどのように関係するのでしょうか?。
※前回記事はコチラ👇
川の方向を探る
山県市南部から東南東へ広がる山地と平野をもう1度見てみましょう。
図の北西部が山県市の南部地域です。
大部分の河川は青点線のように南北方向から北東ー南西方向に流れていますが、水色点線のように西北西方向に流れる河川があります。
この西北西に流れる川は津保川(つぼがわ)で、上図のように北北東から南南西へ流れていますが、山地に邪魔されるようにして流路が変わります。
山地に沿って5kmほど西北西方向に流れた後に、山地の切れ目で南南西へ流路を変え、長良川に合流しています。
津保川の北西を見ると、山県市の中央部から流下する武儀川(むぎがわ)が目につきます。
武儀川は山地に沿って西北西から東南東に流れていますが、途中で南西に流路を変え、山地の切れ目を通って長良川に合流します。
なお武儀川が屈曲するあたり(上図赤点線)に着目すると、どうやらここにも谷中分水界があるようです。
武儀川との位置関係から、おそらく過去に武儀川はここを通って長良川に合流していたのではないか?と推察できます。
これについては、以下のような3パターンが考えられます。
武儀川は東南東へまっすぐ流れて長良川に合流していたが、赤点線の箇所に何らかの理由で大量の土砂が堆積して流れることができなくなり、南へ流路を変えた。
武儀川は東南東へまっすぐ流れて長良川に合流していたが、南の山地の侵食が進み、南へ流路を変えた。
武儀川はもともと現在と同じ流路で流れていたが、山地区間(上図黄丸)でたびたび土砂崩れが起こって堰き止められ、その際に一時的に東南東へ流れることがある。
今度は長良川に視点を移しましょう。
この地域一帯では、長良川は北東から南西へ流れ、黄色丸の箇所で山地を貫くように流下しています。
2か所とも周囲に平坦地があるにもかかわらず、何故わざわざ山地の間を通るのでしょう?
この地域一帯の川は、平坦地内を東西方向に流れる箇所もありますが、結局は長良川に合流し、山地を切るようにして南へ流下します。
実はこれ、ある大きな力が裏で働いているために起こる現象なのではないか?と私は思っています。
濃尾平野は沈下している?
硬いチャートが壁のように阻んでいるにも関わらず、なぜ河川はそれを越えて流れようとするのか?
これには大局的な地殻変動が関わっていました。
それは濃尾傾動と呼ばれる地殻変動です。
三重県北部と岐阜県南西部の県境付近には、養老ー桑名ー四日市断層帯(上図赤線)と呼ばれる活断層帯があります。
この断層帯は活動度の高いA級の断層帯で、過去2000年間で2回大地震を引き起こしたと言われています。
図の赤線のように断層帯が分布しており(概ねで図示)、断層活動によって山側が隆起し、平野側が沈下しています。
1回の活動(地震)で6mもの変異が確認されており、マグニチュード8クラスの地震が想定されています。
これが過去から何度も繰り返されているようなのです。
これによって濃尾平野の基盤となる岩盤は上図のように西側へ傾斜し、それによって形成された盆地に土砂が堆積して濃尾平野が形成されます。
つまり濃尾平野は、過去から少しずつ西側に傾倒するようなかたちで沈下しています。
さらに大局的に見ると、長良川などの河川の上流部である飛騨山脈も長い年月の間に隆起しています。
つまり北の山脈が隆起し、南の濃尾平野は北西方向に沈下しているため、河川は北東から南西へ流れるのが自然です。
しかしチャートの山地が障壁になったため、河川はひとまず、山地に沿って西北西ー東南東方向に流れます。
なおチャートの壁の内側の地域一帯は、もともと氷河時代に形成された谷地形があったと考えられます。
上の図は国土交通省のボーリング情報サイトから得たデータをもとに私が作成した断面図です。
この場所は山県市南部の谷中分水界で、もともとは現在の地表より約50mも深い谷地形(上図赤線)があり、それを土砂が埋め立てて平坦地をつくっています。
つまり、チャートの山地に阻まれた河川は主に西北西ー東南東方向に流れながら土砂を堆積させて谷を埋め立てつつ、たびたび流路を変えながら流れ続けたのでしょう。
これによって西北西ー東南東方向の幅の広い平坦地が形成され、谷中分水界が形成されたと考えられます。
やがて谷は埋められ、チャートの山地も侵食され、今の流れになった。
山県市南部に見られる谷中分水界は、濃尾傾動という地殻変動の結果として生まれたと考えられます。
以上となります。
お読みいただき、ありがとうございました。
引用・参考文献
桑原 徹(1968)濃尾盆地と傾動地塊運動.第四紀研究,第7巻,第4
号,p235-247.