【三方五湖周辺の地形と歴史:昔は島だった?】ゆるく楽しむ日曜地質学:2023年6月4日
ついに6月になりました。
今年もあと半分ですね。
少しずつ暑くなってきましたし、ボチボチ外に出たいなぁと思いつつ、実行できずにいます(;^_^A
地形が違う?
水月湖の北東地域の地形・地質
前回は福井県南西部の三方五湖(みかたごこ)を紹介しました。
5つある湖のうち、水月湖(すいげつこ)北東の地域に着目してみましょう。
赤丸で囲った地域です。
この地域の西の湖が水月湖。南が菅湖(すがこ)で、北東が久々子湖(くぐしこ)です。
平坦地と山地が極端ですよね。
地質図の灰色が中生代ジュラ紀前期~中期(約2億~1.7億年前)のメランジュ(古い海底堆積物がグチャグチャに混ざった岩石)、濃いオレンジが古第三紀前期~中期(約6600万年~4800万年前)の流紋岩(マグマが冷えて固まってできた岩石)です。
どちらも岩盤で、侵食から残り、山地になっています。
一方、山地周辺の平坦地は薄い水色で、これは完新世(約1万年前~現在)の河川や海岸の堆積物で、いわゆる「軟弱地盤」と呼ばれるような砂や泥などです。
つまり、もともとは半島や島々が入り組んだ地域で、その周囲に砂や泥が溜まり、新たに陸になったのが平野部です。
そのような目で古地図を見ると、面白いことが分かります。
若狭国の古地図を見ると?
では拡大して見てみましょう。
方角が斜めになっていて、地形も不正確なので分かりにくいです。
回転させました。
この古地図、陸地も湖もだいぶ形状が違うので始めは全く分かりませんでした(;^_^A
村の名前と現在の地名を手掛かりに何とか検証。
その結果・・
古地図の赤丸と現在の地形図の赤丸が同じ場所だと思われます。
つまり、この山は昔は島で、隣接する平坦地は江戸時代は湖だったと考えられます。
現在は家がたくさん建っており人が住んでいるので、地域に言い伝え等残っているかも知れませんね。
そのような目で見ると、ここ以外にも「昔は湖だったであろう」という箇所が何カ所か見られ、とても興味深かったです。
みなさんも、古地図と現代の地形図、見比べてみてはいかがでしょうか?
この地域の興味深い歴史は、まだまだあります。
次回へ続きます♬
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今週の予告
今週も金曜の投稿を目指して執筆予定です。
結局は今週と同様に、土曜日になるかもしれません。
では、今週もよろしくお願いいたします。
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