板取川の支流はどう動くのか【都道府県シリーズ第2周:岐阜県 山県市編no.13】
都道府県ごとに地形・地質を見ていく「都道府県シリーズ」の2周目。
岐阜県山県市の中部には、山県市を袈裟懸けに切るように真っすぐな川(武儀川)が流れており、この河川沿いに活断層が走っています。
前回は武儀川支流にかつて起こったであろう河川争奪の原因を探るうちに、地質図には記載されていないもう1条の断層が想定されました。
※前回記事はコチラ👇
下流にもう1条の断層か?
前回は現在の武儀川の支流であるA川(仮称)が、かつては板取川の支流だったと仮定しました。
であれば、現在の板取川の支流の中にも、上流が武儀川近くに位置する支流があるだろうと探してみると、あっさり見つかりました。
その形状は、まるで断層で変形したかのように見えるのですが、地質図では武儀川断層はもう少し南に図示されていました。
もう1度見てみましょう。
直線状の地形が2か所見えますが、いかがでしょうか?
南が地質図に描かれている武儀川断層です(※地質図では南東部は地形とずれていたので修正しています)。
北が私が「断層ではないか?」と考えているライン。北西端部の曲がっている部分は少々無理やり引きましたが(;^_^A
上の図と見比べてみて下さい。
次に、それぞれを拡大して見てみましょう。
上の図と見比べてみて下さい。
谷の支流が直線状に並んでいるのが見えませんか?
こんな感じです。
確かに直線状の地形にはなっていますが、今まで見てきた上流の断層地形に比べて、いまいち弱いような気もします。
次に北の「断層のような地形」を拡大します。
さきほどの図の少し北に目を向けます。
すると、断層の左横ずれ運動によって変形したように見える谷がいくつも見えてきます。
これです。
グキッと急激に曲がった谷地形、これまで見てきたものと似ていますよね。
この「曲がり」から逆算的に考えると・・・
どうでしょうか?
谷の変形を脳内で巻き戻してみて下さい。
黒点線の推定断層の動きを、右横ずれで巻き戻してやれば、谷が真っすぐになりますよね。
左横ずれで動いた先には・・
この段階で、次は「未来」を思い浮かべてみましょう。
これら変形した谷のうち、一番西のものを「B川」と名付けましょう。
この最上流部(上図赤丸)は武儀川まで約500mの距離。
つまり断層があと500mほど左横ずれすれば、この源頭部は武儀川に接することとなります。
推定断層のさらに西の分布は不明ですが、武儀川や山地の形状から上図のように想定しました。
この断層が左横ずれ運動を続けていけば、いずれB川上流の赤丸と、推定断層と武儀川の交点部(赤丸)が重なります。
するとB川上流部は武儀川に侵食され、後退侵食で徐々にB川下流へ源頭部を移動させ、現在のA川のようになるでしょう。
と言うことで、かつてA川も現在のB川の位置にあり、断層運動で上流部が武儀川に接し、後退侵食が進んで現在に至った可能性があります。
気になる点が・・
しかし気になる点があります。
まず1つは、後退侵食という現象だけで、この河川争奪を説明できるだろうか?という疑問。
と言うのも、A川がかつて板取川の支流だったのであれば、谷沿いの平坦面は緩やかに板取川の方に傾いていたハズ。
それに対して、最も標高の高い上流側から徐々に侵食が進んだとしても、谷沿い平坦面の傾斜方向は変わらないでしょう。
となれば、A川の流れはいつまで経っても逆流しないと考えられます。
それともう1つ・・・
それは段丘面です。
図のように、A川沿いだけではなく、段丘面は赤点線で囲った範囲に広く分布しています。
これらの段丘面の標高はA川沿いの平坦面とあまり変わらず、一連のものなのではないか?と考えられます。
だとすれば、思っていたよりもスケールの大きな出来事があったのかも知れません。
そのヒントは、これです。
武儀川断層と推定断層がこのように分布している地域で、左横ずれ運動が何度も起こったらどうなるか?
過去に遡るとどんな地形だったのか??
次回へ続きます。
お読みいただき、ありがとうございました。