海はすでに汚れていた
今日の記事は『砂の器』という映画はイイよなあということを書いているだけです。
さて、デジタルリマスターという言葉をよく耳にする。最近では深夜放送で『ウルトラセブン』のリマスター版が放映されていたけど、これまで見たことのない色鮮やかなウルトラセブンだった。
ぼくの記憶では、オリジナル版はあんなに鮮やかな色合いではなかったし、あそこまで緻密な映像でもなかった。
キレイになるのはいいことだから文句はないけど、それにしても、オリジナルよりきれいな映像というのはいったいなんなんだろうという気にもなる。
ひょっとすると、映画を観ているつもりで実はコンピューターグラフィックスを見ているだけなのではないのか、と。
なかには明らかにやりすぎなものもある。『男はつらいよ』がデジタルリマスターされたとき、寅さんのほっぺたが桃色になっていたのをいろんな人が「ヘンだ」と言っていた。やりすぎはよくない。
しかし、ほっぺはともかく、リマスターする側も多少は映像に化粧を施している意識はあるだろう。決してガチガチのオリジナルを再現しようとは思っていないはずだ。
昔の作品は、ぼくらの記憶の中で、現代のテクノロジーに合わせてしだいに美化されてしまっている。だから、オリジナルのままを見せられてもたぶん画面の汚さにがっかりするのではないか。
これは映画にかぎらない。
モーツァルトの時代のオーケストラはいわゆる古楽器というやつで、あれで演奏したCDがよくあるけど音のふくらみがかなり貧相だ。
モーツァルト自身はこういう音しか聞いたことがなかったのだなあと思うと不思議な気がするが、だからといって現代のオーケストラで聴くモーツァルトがニセモノだということにはならないだろう。
戦国武将も同じだ。
映画やドラマの中では、信玄も謙信もサラブレッドのような馬に乗っているものだが、実際の戦国時代にはポニーのような小型の馬しかいなかったそうである。
しかし、信玄と謙信がポニーにまたがって戦っている姿を想像するとまるで
イケてない。「川中島の戦いってポニーかよ」と思うと気持ちが盛り上がらない。だから、想像の中だけでもサラブレッドにまたがっていることにして
もらったほうがいいのだ。
映画のデジタルリマスターも似たようなことだと思う。オリジナル至上主義ではぼくらはしあわせにはなれない。
古楽器の代わりに現代楽器を、ポニーの代わりにサラブレッドをつかように、リマスターされた映像も過去をやや美化するくらいでちょうどイイ。
というわけでひさしぶりに『砂の器』(1974)という作品を見ているんだけど、山々の緑が燃えて目に痛いほどだ。これも、デジタルリマスターのおかげであり、オリジナルはこんなに鮮やかな緑ではなかったに違いない。
だからといってニセモノだということにはならない。もし、昭和40年代の日本に今のデジタル技術があれば、野村芳太郎監督も撮影の川又監督もきっとこれくらい色鮮やかな緑を撮っていたにちがいないとおもう。
だから、「こころの真実」としてはこれでいいのだ。
ところで『砂の器』もいよいよプライムでの無料配信が終了する。ファンの多い作品でぼくもその一人だが、あと4日で終了してしまう。
何度観たか忘れてしまうほどだけど、これで最後だからと思って見直している。
丹波哲郎さんや加藤剛さんの熱演もすばらしいが、やはり日本の四季を映したカメラが美しい。くりかえすが、制作当時はここまで鮮やかではなかったはずなんだけど、でもこれでいいのだ。
とはいえ、いくら色が鮮やかになっても、昭和の風景はありのままに映っている。
刑事たちは、真夏にワイシャツの腕まくりをしてさかんに扇子を使い、汗をぬぐいながら捜査に励むんだけど、今の夏よりは涼しげに感じられる。
温暖化が激しくなる前の日本の夏の雰囲気は、デジタルリマスターとは関係なくつたわってくる。
作中には日本海の夕日を眺めるシーンががあるんだけど、海の色はきれいになったが、砂浜にはゴミが散らばっている。いまならNGが出るだろうと思うほどひどい。これだ。
でも、丹波さんも森田さんも気にしないで夕日を見ている。環境問題が深刻化する前だったから気にならないのだろう。
しかし、海は当時からかなり汚れていたことがみてとれる。夏は涼しかったけど、今これだけ暑くなるタネはすでにまかれていたのだなあと思いながら見た。
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