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ほんとうのnote

生活の軸

ぼくは、24時間の生活を回していくうえでは、なにか軸になる時間帯を決めたいと考えるタイプである。そして、何を軸にするかについては、かなりじっくり考える。

軸とは「動かせない時間帯」ということで、そこが決まったら、その前後の時間割を組んでいく。

もしかするとそういうことを考えていない人が多いかもしれないけど、だとすれば、その人にとっては生活の軸が、

仕事または学校または育児

であることが決まっていて、選べる状況にないということだ。たとえば仕事を最優先でスケジューリングし、そのまわりに、睡眠や食事や運動の時間をはめていく感じだろう。

ぼくも仕事を中心に生活が回っているのは同じだが、フリーランスなので「動かせない時間帯」ではない。

動かせない時間帯

なにを「動かせない時間」として設定しするかは、生活の質を上げるためには、ようく考えなければならない。

この20日ほどは、ウォーキングを生活の軸にしていた。

ここしばらく、体を動かす時間を削ってしまうことが多かったので、その反省からだ。

朝の4時半に家を出て近所の公園を1時間ほどウォーキングすることに決め、その時間を最優先にして、それ以外の生活時間を決めていた。4時半にしたのは、日が高くなってから歩き回るのはつらかったからだ。

ラジオ体操の時間を思いだす

それくらいの時間にも結構人は歩き回っており、多くは高齢者である。
ぼくがむりやり起きだしているのとはちがい、朝早くに目が覚めてしまって、いやおうなく出てくるみたいだ。

一方で、わずかに若い人もおり、きっと出社前にジョギングしているのだろうが、4時~5時にジョギングし、それから出社して1日働くのはなかなか大変だろう。

でも気持ちもわかる。緑がきれいだし、空気もおいしくて、どんな酷暑の日でも変わらず涼しい。この時間にひと汗かくのが、生活の質を上げるためには大事なのだろう。

ぼくもこの感じでずっと続けていきたいと思っていた。

しかし今日からは変える

しかし、どうにも他の時間帯とと折り合いがつかない。

たとえば、このnoteは今午前3時に書いてるけど、そうすると、ろくに寝ないでウォーキングに出かけることになる。すると、日が上がってから睡眠をとらねばならず、仕事にしわ寄せがいく。

なので、今日からは、昼前まで寝て、ウォーキングを昼過ぎに移動することにしてみる。しかし朝の空気が名残惜しいし、生活パターンをそこまで調整して、noteを続けなければならない動機はない。

とりあえず、しばらくはこの感じでやってみるけど、もう3年半やったので、この調子で何をどれくらいやれるのかはわかった。

手記もいい

今日、例の京アニの犯人の主治医だった人の手記というのをネットで読んだんだけど、「手記」というのもいいものだ。

手記(=note)は、周囲に向かって、あるいは世間に向かって言えないことを吐き出すために書くのだろう。京アニの犯人を生かすということについてはいろいろ世間から言われただろうし、ご自身にも葛藤があり、しかも他人には言えないのことだったので、手記に吐きだしたのだと思う。

この記事に手記の全文が乗っているわけではないが、載っている部分だけでもなかなか重い。そして、他のほとんどの部分は、誰にも見せられないようなことが書かれているはずだ。

ぼくも手記になら書きたいことがいくらでもある。ここに書いていることは、その中で、人に見せられるほんの一部分にすぎない。

生活に何らかの制限があったほうが、おもしろいといえばおもしろいので、このまま「なんちゃってnote」を書き続けるかもしれないけど、ほんとうのnoteもいいなあと思っているところだ。

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