
性格にも春夏秋冬があるらしい
今いろんなところでジェンダー平等が唱えられている。
そんな中でひとつ「みなさん、これは恥ずかしいのでやめませんか」とぼくが思っていることがあるので提案したい。それは女性(見た目が女性の人)に対して
得意な料理は?
と聞くことだ。これは見た目が男性の人に向かって
得意なパンチは?
と聞いているくらい恥ずかしく感じる。
もちろん、得意なパンチを持っている男性は女性よりは多いだろう。同じく得意な料理を持っている女性も男性よりおおいかもしれない。しかし、全員に聞かなくていい。
ところで、今日のメインはジェンダーではなく、料理である。
ぼくは、人が料理してくれたものは食べるが、自分でカレーを作るくらいならボンカレーネオでいいと思っている。そして、ボンカレーがない場合は、ニンジンとジャガイモをかじり、肉をさっと焼いて食べて、仕上げにカレー粉を飲めばいいくらいに思っているのである。
ただし、これは「人としてあるまじきこと」だという自覚はあるので普段は口にしない。でも、男性なら100人に一人、女性でも1000人にひとりくらいはこういう人がいるのではないだろうか。
ちなみに好きな食べ物は?と聞かれるとだいたい
刺し身
と答えるが、このあたりにも本性が出ている。好きな食べ物を聞かれてまっさきに刺し身と答えるやつは
そももそ煮たり焼いたりしなくていいんじゃないの?
と思っている可能性が高い。
若いころは「食べるものは料理しなければならない」という先入観があったのでめんどくさくてもやっていたけど、年とともにそういう意識が薄れててきた。キアヌ・リーヴスが
この世はもしかしたらマトリックスじゃないのか?
と疑い始めたように
もしかして料理ってしなくていいんじゃないのか?
と思い始めたのである。洗脳が解けてきたわけだ。
さて、ここまで書いたうえで言わせてもらうが、衣食住が生活の三大要素だとされる。その点は異存ない。
では、みんながみんな自分で金づちを使ってウチを建てたいのだろうか。
自分でミシンを使って服を作りたいのだろうか。
裸で洞穴で暮らすのは避けたいけど、だからといって自分で作りたいとも思わないだろう。
だれかに作ってほしい
と思っている人も多いはずだ。それと変わらないくらいに思ってもらっていいのではないか。
なんでそんなことを思うかと言うと、井上靖『北の海』という小説を読んでいてどうやら主人公がぼくタイプなのである。
衣食住についてあまり深刻に考えていない。そして、この手の性格を、春夏秋冬にたとえると「春」タイプらしい。
そもそも生活のことを楽観視しており、この世は春みたいなものだと思っているそうである。放っておくとホームレスになりやすいタイプだ。
このところ、コロナ、戦争と厳しい季節が続いており、個人的には、この先もっと冷え込んでくると予想している。
しかし、そう思ったうえで、ぼくはのほほんと生きている。しかし、『北の海』を読んで感じたところでは、これはどうやら「カレー粉を飲めばいい」くらいに思っているのと通じる点がありそうなのだ。
そうしてみると、春タイプの人が、他人に向かって「大丈夫っすよ」みたいなことを言うのはあまり意味がないとも思う。