心の底まで届いた映画
音楽だろうとマンガだろうとドラマだろうと映画だろうと、「マイベスト10」とか「マイベスト5」だとか、考えるのは楽しいものだ。
だれに聞かれているわけでもないのに、ぼくも眠れない夜にひとりで考えて楽しむ。1人の映画好きとして「オールタイムベスト10」にどの作品を入れるか、どれを外すかなどと、ああでもないこうでもないと考える。
ところで2022年上半期マイベスト映画は、ホドロフスキー監督の『ホーリー・マウンテン』(1973)だった。2022年上半期などといいつつ、50年近く前の作品である。
『ホーリー・マウンテン』がよかったというより、ホドロフスキーの世界の豊かさにショックを受けた。これまでの食わず嫌いを恥じている。
これほど揺さぶられたのはひょっとすると10年ぶりくらいかもしれないが、イカモノのように思って敬遠していた自分が恥ずかしい。
それだけ心の深い部分に届いたということで、ぼくがマイ・オールタイムベスト10映画に選ぶ作品は、すべて心の深い部分に届いたものばかりだ。
ただし、深い部分に届かなければ「評価が低くなる」というわけでもなくて、浅い部分でたのしめる作品もあるわけで、それぞれの映画に合ったレイヤーでたのしめばいいし、今日書きたいのはそのことだ。
海にだって表層海流から深層海流までさまざまな流れが積み重なっているように、ぼくが映画を見るときにも、作品を受け入れる心の層は、表層から超深層まで、だいたい5つのレイヤーに分かれている。
「007シリーズ」はこころの表層で爽快感をたのしむし、オスカーをとるような作品は、だいたい第三レイヤーあたりでヒューマニズムやドラマツルギーに感心している。
そして、ぼくのこころの第4レイヤーにあるのは世界観だ。ホドロフスキーはそこまで届いたわけで、海底にあらたなムー大陸を発見したような気分だ。
しかし、その下の第5レイヤーには太陽光は届かない。そこまで届く光はポエジーだけだ。
映画というものの核心にあるのはポエジーだとぼくは確信している。たとえば、ぼくはソ連のアンドレイ・タルコフスキー監督の作品がわりと好きなんだけど、かれにドラマツルギーがないということはさんざん言われてきた。
しかし、そのロシア的なポエジーはまぎれもない。。。などといいつつオールタイムベスト5にも入れてないんだけど(笑)。
ちなみに、ぼくのオールタイムベスト1映画は、ビクトル・エリセ監督の『マルメロの陽光』(’92)である。30年間不動のトップを守り続けており、ずっとこのままだろう。
この作品については、これまでどこでも一度も書いたことも口にしたこともない。それはこの作品が自分の心の聖域にあるからだと思う。
ちなみに、エリセといえば『ミツバチのささやき』や『エルスール』が有名で、もちろんいい作品だと思うけど、ぼくは第4レイヤーあたりで見ている感じである。けなしているのではなくて、第4レイヤーあたりで見て
と思っているということなので、好きな人は気を悪くしないでください。
第5レイヤーまで届いたのは『マルメロの陽光』だけなのだが、世間の評価は冷たい。エリセは長編をたった3つしか撮っていないにもかかわらず、「監督デビュー50周年記念ビクトル・エリセ Blu-ray BOX」に『マルメロの陽光』は収録されなかった。
ぼくは封切で見に行き、VHSを借りて(コピーし)、ボックスLDも買い、DVDも買ったが、マルメロの陽光のBlu-rayが出ることは未来永劫ないのだろう。
それでも、でも、オールタイムベスト1の地位は揺るないし、だれになにをいわれても、こころの深層までとどいてくる言葉はひとつもないのだった。
・・とハードボイルドにしめくくろうとおもったら、こういう記事を書いた人が見つかった。
いやあ、「私史上、最も衝撃ですか」、ぼくもですよ。ありがとうございます。エリセにかわって感謝します。
note最高。やはり光が届くと嬉しいものだな
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