脳の悪い人の身になってみる
最近、認知症についてよく考える。目の前に認知症の人がいるので考えずにはいられない。
介護士の人からは、
と言われる。なのでそう思うように努めているけど、つい真に受けてしまう。2日に1回くらい・・
と言われるが、言われなくても帰りたい。受刑者が出所日を数えるように(ムショに入ったことはないけど)指折り数えてその日を待っているのだが、帰れないのは
という気持ちが湧き起こる。だが、わかってないから脳の病気なのである。
脳の悪い人の身になれるか?
「相手の身になって考えよう」とはよく言われるけど、足が悪い人や腹の痛い人の身になって考えることはできても、脳の悪い人の脳になって考えるのは不可能に近い。
いいかえれば「脳が悪い」というのは、本人としてはどういう感じなのかをイメージできないのである。むずかしい言い方をするなら「内在的に理解できない」ということだ。
・・で、いろいろ考えてみて、心のブレーキの問題としてとらえるのがいいのではないかなあと、というのが今日の結論です。
心のブレーキ
たとえば、いまぼくが猛烈におしっこをしたくなったとしよう。しかしここで漏らしてはマズい。その前に、この記事を保存して、それからトイレにたどり着かねばならないし、それまでは括約筋をキュッと閉めて耐えねばならない。
それができなくなって漏らすようになったら、脳のブレーキが効かなくなっているということで、これが老化と呼ばれるものなのではないだろうか。
その延長上に「脳の病気」があるのではないだろうか、と考えるようになったのにはいくつかヒントがあった。
おしゃべりの止まらない女性
今日、スーパーにいったら、店員さんにやたらとはなしかけている客の女性がいた。ぼくより10歳以上は年上だろう。
その人は、店員さんの右についたり、左についたりポジションを変えながら、おしゃべりが止まらない。話自体は「昨日のおかずをどうしたこうした」という他愛ないことで、とにかくマシンガンみたいに止まらない。
じゃまになっているのはまちがいないので、作業が一段落するまで口を閉じて待ったらいいと思うのだが、それができないらしい。これが老化というヤツではないだろうか。
依存症もブレーキの問題
依存症は脳の病気なので責めても仕方ない、とよく言われるけど、同じに思える。依存症の人は
と思っていたそうだが、気づいたときには、止めたいと思っても止められなくなっていたという。
こうしてみると、自分の意志で止められない、というのが、脳の病気の兆候に思えてくる。
ダジャレを止められるか
ぼくの友人にダジャレを言いまくる人がいるのだが、本人曰く「ダジャレはオレの魂なのだ」そうだ。
しかし若い頃はひとつも言っていなかったので、魂というより、「思いついたら言わずにいられなくなっている」だけではないのか。
なお、念のために書いておくと、文句を言っているのではなくて、認知症を考えるヒントにしているだけです。ぼく自身、昨日の記事でダジャレがでてきそうになったので、ややわかる。
リアルゴールドがチラついた
昨日の記事「地球のこういう所がおもしろい」では、"リアルワールド"という言葉を決めゼリフに使っている。
だが、ぼくはリアルワールドと書いたとたんに、アタマの隅に
がチラついて仕方がなかった。だが、あそこでダジャレに流れるわけにはいかなかった。途中はふざけたことを書いているけど、"リアルワールド"はキーワードであり、読者を倒しにかかるパンチだったからだ。
なので、ブレーキをかけて書き進めたわけだが、あそこでリアルゴールドが洩れるようになったら、脳の括約筋が衰えたということではないだろうか。
その先に、認知症をイメージできるのかもしれない。