見出し画像

積ん読になるのがこわい

心理的コストについて書く。

昨日からマイクロソフトのサイトでゲームのセールをやっている。「爆弾セール」と称して、ぼくが好きなシリーズのソフトが一本あたり$1.99(約200円)で売られている。

もちろんやってみたい。10本カートに入れた。しかしそこで激しく悩みだして、どうしてもチェックアウトができない。そして一晩悩んだ挙句、先ほどようやくチェックアウトを終えたのでこれを書いている。

***

何が言いたいかというと「200円の商品でなんで一晩も悩むのか?」ってこと。

ぼくはよくスーパー西友に行くんだけど、200円のパンは一瞬でかごに入れる。200円の缶チューハイは3本まとめてかごに入れる。一晩どころか一瞬のちゅうちょもない。

しかし、ブックオフで108円の文庫本を買う時はけっこう悩むことがある。その心理を自分なりに分析してみると「ぼくはほんとうにコレを読むのだろうか?」という疑いである。

つまり、積ん読になるのがこわいのだ。ゲームも積みゲーになるのがこわい。時間や金銭がかかるわけではないが、心理的に負担がかかる。これが心理的コストである。

ちなみにチューハイの心理的コストはゼロだ。今日か明日には胃の中に納まっている確率が99.99%。ムダにならないことが確信できる。

***

ぼくの部屋には積ん読が山ほどある。
積みゲーもそこそこある。それらを見るたびに

いつか読まなきゃ…
いつかやらなきゃ…
メルカリで売ろうかな…

などと思う。これがイヤだ。

本もゲームももう十分にあるのにまだ買おうとしている自分にたいして「お前はいったい何歳まで生きるつもりなんだよ?」とおもう。たかだか$1.99のゲームでそういう自問自答が発生するのがウザイ。

でも買わないと後悔するので買った。

このゲームは食パンだと思うことにします。
そして、食べる前に腐ってしまったのだと思うことにします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?