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30代までに何をやっていたかでだいたい決まる
コロナ禍の前・・つまりプレコロナ紀の話だけど。近所の大型ショッピングモールにいくと、そこの書店をずーっとウロウロしている初老のおじさんが数名いた。
一方、こっちはいろんな用事をイッキに片づけよう思っているのでいそがしい。
スーパーで食料を買い
ダイソーで日用品を買い
ユニクロの安売り品をチェックし
PCデポでパーツの値段を確かめ
ツタヤのワゴンにめぼしい映画のDVDが放出されていないかチェックし
書籍コーナーで「今月のベストセラー」ざっとながめてから
PC本コーナーで『DOS/V』や『日経 Linux』などをざっとチェックして、自転車に飛び乗って帰るのだ。
しかし、ツタヤの書籍エリアに行くと、いかにもひまそうに『DOS/V』を手に取っているオジサンがいつもいる。みるからに「あんた絶対PCパーツに興味ないだろ」という感じの人で、もうしわけないけど邪魔だった。
そういう人がコロナ前の5~6年はやたら目立っていた。食料品売り場にもDVDレンタルコーナーにもダイソーにもいないのに、なぜか本屋の『DOS/V』の前にはいた。
で・・ここからはぼくの推測なので、で気にさわる人がいたらごめんなさいなのだが、そういう人はもともと会社員で、ながいこと指示待ちをしていたタイプの人ではないだろうか。
定年退職すると指示をしてくれる組織がなくなるので『DOS/V』の前をウロウロするようになってしまうのではないか。
で、今日言いたかったのは、「40過ぎたら人間変わらないな」ということである。40歳くらいまでにさかんにやっていたことは生涯にわたってその人のベースになるのではないかと、自分の経験から思う。
ぼくは30代後半までいちおう研究者の看板を掲げていたのだが、その後シャバに出ていろいろと経験を積んだ。だから今は研究者ではないかと言うとそんなことはなくて、どこかしら研究者気質が抜けない。
そのことについては、あきらめに近いものを感じている。
世間を見ていても、もともとクリエイターだった人は経営者になってもどこかしらクリエイティブなものが根っこにある。イケイケドンドンのビジネスマンにはなっていない。
ちなみに、ぼくが30代までにやってきたことと言えば、外国語と、教壇で教えることと、本を読むことと、研究することと、論理的な文章を書くことだ。
その後、エンジニアになったりもしたが、生涯エンジニアを続けるのはムリだったと思う。おなじく、今からクリエイターになるのもビジネスマンになるのもムリだ。
いまやっている翻訳業だってあやしいものでだ。根っからの翻訳者というより、自分の研究をささえるため、メシを食うための方便であり、別の手段で食えるようになればさっさと捨てるだろう。
それはともかく、定年退職してお金のない人であっても、近所の寺社巡りをするとか、荒川で釣りをするとか、郷土史を調べるとか、お金をかけないで楽しめる趣味はいくらでもあるはずだ。しかし、オジサンは『DOS/V』の前をウロウロしている。
人生100年時代と言われるけど、30代までに指示待ち人生を送っていると、定年退職して指示がなくなってからも指示待ち体質が抜けないのではないだろうか。研究者気質がぬけない自分をかえりみると、そう思えてしかたがない。