ロジャー・ムーアの一言から自嘲を学んだ
子どもの頃に食べられなかったものとか、いけなかった場所は生涯こころの中にとくべつな場所を占め続ける。
ぼくが小学生の時に行きたいけどいけなかった場所はゲームセンターだ。インベーダーゲームというのをやりたくて仕方がなかったのだが当時のゲームセンターは不良の集まる場所であり、小学生が入ることはできなかった。
実家の近所にインベーダーゲームをずらっと並べた店があったんだけど、すでに廃屋になっている。しかし前を通るたびにいまでも誇張でなく当時の飢餓感がよみがえるのである。その後いろんなゲームをやったけどこういう「飢え」を感じるのはスペースインベーダーだけである。
映画にもそういうのがあり、たとえば007の『ムーンレイカー』(’79)がそれだ。いまボンドというとダニエル・クレイグだが、1980年前後はロジャー・ムーアの天下だった。そして映画館は小学生にとってゲームセンターのように遠い場所だったのだ。ぼくはいまだにしつこく映画を観るタイプだが、子ども時代の飢餓感が原動力になっていると思う。
というわけで最近Primeビデオで『ムーンレイカー』を見たのだがおもしろかったですね~で終わる話ではない。見ているうちにべつの記憶がよみがえった。
当時、ムーアが日本の映画雑誌「スクリーン」のインタビューに答える中で「ぼくはたいした役者じゃないから・・」と言ったのだ。
いま思えばなんの問題もないコメントである。「じぶんはロバート・デ・ニーロではない」と言っているだけだ。「ルックスだけで売っている役者」という世間の嫉妬を受け流しているのである。そしてロジャー・ムーアが「ルックスだけで売っている役者」だというのはある程度事実だ。
しかし、わざわざ本人が口に出すのはまわりからさんざんそういう陰口をたたかれていたからだろう。かつて榎木孝明さんという二枚目の役者さんも「徹子の部屋」で「ぼくはたいした役者じゃありませんから・・」と言っていたけど同じである。
しかし小学生の僕はボンドという自己肯定感のかたまりをムーアに重ねていたわけで、これは重い一言だった。ぼくが「世間の嫉妬と自己卑下」という心理を覚えてしまったのはあれが最初である。
小学生の頃ウチのばあちゃんが「世間に向けて恥ずかしい」と言っているのを聞いて「そうか、こういうことが世間に向けて恥ずかしいのか」と学習したことがあるが似たようなことだ。
もちろんムーアにも『スクリーン』にも非はない。大人向けの映画雑誌を読んでいたぼくに非があるのだが、こういうことがあるから子どもの内からあまり背伸びをするのはよくないのである。
それにしてもいまだに世間はこういうことばかりだ。恵まれた人々を「ルックスだけ」、「カネだけ」、「親の七光り」などといって引きずり落す。でもそういう人々も、元をたどればこどものころに親たちがテレビをみながら「こいつはルックスだけ」といっているのを聞いてまなんでしまったのである。そんなネガティブな感情を受け継いでしまうのはクソのようなことだ・・と言い切れるようになるまで時間がかかった。