気持ちよくさせるのはテクニック
1980年代の映画で『スニーカーぶるーす』(81)というのがあった。ジャニーズ事務所の近藤真彦さんの初主演作品だ。当時、マッチといえばおそろしいほどのスーパーアイドルであり、マッチの雄姿をスクリーンで見られるということで熱狂的なファンが劇場におしかけた。
まだビデオデッキすら普及していない時代である。いつでもなんでもYouTubeで見れるいまのファンとは気合がちがう。見のがせば二度と目にすることができないのでみな必死だ。ファンはカメラを持って入場し、スクリーンにマッチが映るたびにバチバチと無数のフラッシュが炊かれたそうである。
ごぞんじのとおり、映画のスクリーンはただの白い布である。テレビのように画面が発光しているわけではなく、映写機から影をうつしているだけだから、場内が明るくなれば映像は消える。つまり、フラッシュが炊かれるたびに画面は真っ白になる。公開初日に劇場の様子をレポートした記者の人によると、上映中ずっとフラッシュが炊かれていて、ほとんどなにも見えなかったそうだ。
マッチファンも、帰宅後にフィルムを現像に出し、戻ってきたプリントに白いスクリーンしか映っていないのでがっかりしただろう。
熱狂的なファンといえば、ロバート・ゼメキス監督の『抱きしめたい』(78)もある。ゼメキスは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『フォレスト・ガンプ/一期一会』など、確実におもしろい作品を撮る人だ。
内容は、ビートルズがはじめてアメリカをおとずれた際のファンの熱狂をとらえたコメディで、こういうシーンがあった。ビートルズが宿泊しているホテルの前に熱狂的なファンが詰めかけて一目見ようと出待ちしている。そこでだれからともなく「ジョンがでてきた!」というデマが流れる。デマはまたたくまに広がり、女の子たちがバタバタと失神していく。
こうした人たちをバカにするのはカンタンだ。ただし、彼女たちが白いスクリーンを激写し、ニセのジョン・レノンに失神した瞬間に、しあわせの絶頂をむかえていたのはまちがいない。
しかし、恍惚とするファンの裏側で、金や権力がうごいていたこともまちがいないのである。
人間のテクノロジーが進歩するにつれ、放射線や、ウイルスや、ワクチンや、気候変動など、映画の上映よりもはるかにむずかしいテクノロジーにぼくたちは取り巻かれるようになった。偽のレノンに失神し、白いスクリーンを激写する人たちに、これらをぜんぶを勉強しろというのは酷なことだ。
彼らがわかりやすいスピリチュアルや陰謀論にながれて、気持ちよさを求めるのはしかたがない。しかし、わかりやすさの仮面をかぶってカネや権力をうごかしている連中がこういう人たちを釣っているのもまちがいないのである。
イシケンTVの石田健氏がこういうことを言っていた。
少しよくない言い方かもしれませんが、たぶん陰謀論にハマる人って、そこそこ知的好奇心があるはずなんですよ。『何かを学びたい、でもお金を払ったり難しい本を読んだりはしたくない』という(中略)人たちに、現状ではネット右翼的なものが接近してしまっている。YouTubeやTwitterなどでの発信で、そこをリプレイスしていきたいと思っています
陰謀論よりも先に知的好奇心でかれらを釣る、というのはなかなかおもしろい発想だ。
ただし、気持ちよさを与えるのはもっとタイヘンなことである。やはりテクニックがモノを言う。腹黒い連中はそこをまじめに追及しているわけですよ。啓蒙主義では太刀打ちできない。