お掃除ロボットは必要か?
春は引っ越しの季節・・
春は卒業の季節・・
春は進学の季節・・
春は就職の季節・・
春はなにかと忙しいものだ。
さらに「機種変更の季節」でもある。
人の移動を当て込んでて各キャリアがセールをやったりするので、ぼくのように就職も引っ越しもしない人間も合わせて機種変更したりする。
また、春は年度末でもある。
進学も引っ越しもしなくても、なにかといそがしくなりやすい。
さらに健康診断などもこの季節に行われがちで。確定申告が終わったと思ったら、健康診断にいかねばならない。
さらに、春に生まれた人間にとっては、春は免許書き換えの季節でもあり、マイナンバーカード更新の季節でもある。
そういうわけで、市役所でマイナンバーの更新手続きをやりつつ、同時並行でスマホの設定をやりつつ、「いつ免許の書き換えに行こうかな」などと考えていた。
そこでつくづく思ったんだけど、機種変更の煩雑さは、役所の手続きの煩雑さと似ているのである。コンピュータの複雑さとは異なるものだ。
コンピュータとは、本来ても単純なものだ。なにせ「ゼロ」と「イチ」しかないのだから。そして、システム全体は、
入力 -> 演算 -> 出力
これだけしかない。
もっとも複雑なコンピュータはスパコンだけど、スパコンの複雑さはF1マシンの複雑さと似ている。
F1マシンは複雑なテクノロジーのかたまりだが。パワーウィンドウも、カーナビも、ラジオも、エアコンもついていない。
富岳にも「簡単モード」などはないはずだ。
それにくらべてスマホの設定の複雑さは「誰にでも使える簡単さ」を目指した結果としての複雑化である。
もうちょっと単純に作ってくれれば助かるのだが、それだと「おじいちゃんが使えない」ということになってしまう。
今、ぼくの田舎では足腰が弱って歩けない人でも、車をブーブー動かしている。窓がモーターで動いたり、バックミラーがモーターで動いたり、後ろをカメラで確認したり、そういう簡単さを演出するために、機械が複雑化している。本音では
車庫入れなんか自分で練習すればいいんですよ
と思うのだが、そういうことをいったらいけないのだ。機械にすべてやらせるのである。レバーに触れなくても勝手にウンコが流れなければならないのだ。
スマホも同じで、こういう方向を目指してどんどん複雑化している
もちろん、「ゼロ」と「イチ」だけではやっていられないが、しかし、やりすぎは困ると思うのである。
エアコンの「お掃除ロボット」などというのはかえってゴミが溜まりやすくて不潔だと聞いた。汚れたらぞーきんで拭いたほうが早い。
クルマも、「進む」、「止まる」、「曲がる」だけがしっかりしていれば、あとはなんにもついていないほうがいいと個人的には思っている。
スマホも、本心ではブラウザだけでいい。設定はすべてテキストファイルで手書きしたら、その方が早いしわかりやすい。
それをなにかとアプリ化して自動にするから、その操作に慣れるのに時間がかかってしまう。役所をたらい回しになっているような気分だ。
でもそうするとおじいちゃんが使えなくなるからいけないのだろう。
そうやって社会の表面はどんどんシンプルになっていき、裏側ではテクノロジーの複雑さが増す。表と裏の分断が進めば進むほど、知らないうちにコントロールされる余地も生まれるわけだ。
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