ポルノなんかばかばかしくて見てられないほど
今日はエッチについて書きます。エッチとネットポルノの関係について。
ポルノはビジュアルで、リアルエッチはビジュアル以外の「聴覚、触覚、嗅覚、味覚」の世界ではないか。
昨晩、風呂に浸かっていたら、ふと「はじめてエッチをしたときのこと」を思いだした。いつも思い出すわけではないし、ちゃんと思い出すのはもしかすると初めてかもしれないのだが、それには理由がある。
ぼくはさておき、あなたの初エッチのことをちょっと思い出してみてほしい。そのときの情景をありありと脳裏におもいうかべることができるだろうか?
いま「ありありと脳裏にうかべることができた」という方よ、あなたがたはウソつきである。
イエス・キリストみたいな言い回しになってしまったけど(笑)、言いたいことはこうだ。
昨晩は初エッチの「情景がありありと」浮かんできたわけではない。いくらおもいだそうとしても暗闇しか浮かばない。
ありありと思い出されたのは、触覚と聴覚と嗅覚と味覚だった。
経験の浅い若者が、どうにかこうにか「そういう体勢」までたどりついたとしよう。そのときにはすでに十中八九(じゅっちゅうはっく)部屋の電気は消えているはずなのである。
電気をつけたままで服を脱がせてくれる人なんでそうそういるもんじゃない。すでに真っ暗闇なのだ。
それでも「自分は情景をありありと思いだせる」という人もいるかもしれない。窓から月明りがさしていたとか、暗闇に目が慣れたのだとか主張するかもしれない。
しかし、それもないはずなのだ。「そういう体勢」になったときにはすでに布団の中にもぐりこんでいるはずだから。
ビジュアルがなかったので思い出そうとしても何十年も思い出せなかったのである。
しかし、昨晩、お風呂の中で急にその「四感体験」がよみがえってきた。赤裸々にいうなら嗅覚体験が80%。
急に思い出したのは、昨日の記事で「彼女の家に泊まってエッチした後で相手が寝静まった深夜に起きだして・・」などと書いたからだろう。それで記憶が刺激された。
さて、ネットポルノである。最近、ネットポルノ中毒とかネットポルノ依存というのが社会問題化している。
ネットポルノはビジュアルだけの「一感」体験だ。
一方、ぼくが思い出した初体験は、8割が嗅覚であり、ポルノ映像とは比較にならない息の詰まる記憶だった。
たとえていうなら、甲子園のマウンドにはじめて立った1年生ピッチャーの体験と、それをテレビで見ている人の体験くらいの落差がある。
ぼくはインパクトの強い体験の記憶が多いほうではないけど、これまでもそういう記憶が蘇っているときには、ポルノをバカバカしく感じていた。
それでもぼくがたまにポルノを見るのは、「インパクトのある体験」の数が少ないからだろう。
ならば、強烈な体験をたくさん持っている人は、ネットポルノなんかばかばかしくて一切見ないんじゃないだろうか。
逆に考えれば、ネットポルノ依存に悩まされている人は、強烈なリアルエッチの記憶があまりないか、全然ないのではないか。
クリックするだけで見られるのはお手軽だし、自分が傷つかないですむけど、リアルな体験は、暗闇の中で緊張し、とまどい、エゴがぶつかり合い、お互いの不満と快楽がまじりあう。煌々とライティングされたポルノの世界とは異質なものだ。
バカにされても傷ついてもいいからぶつかっていこう。それだけの価値はある。