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マイナーな映画に明日はあるのか
ぼくは、007シリーズもスターウォーズも好きである。しかし、1930年代のフランス映画も1970年代のソビエト映画も同じくらい愛している。
007シリーズはデジタルリマスターされた全24作品がアマゾンプライムで一挙公開された。まことによろこばしい。
すでに
ワールド・イズ・ノット・イナフ
ムーンレイカー
リビング・デイライツ
消されたライセンス
美しき獲物たち
などを見た。どれもよかったが、ピアース・ブロスナンの『ワールド・イズ・ノット・イナフ』は現時点でマイベスト007かもしれない。
一方で、ぼくはフランスのエリック・ロメール監督の作品も好きである。だれかに薦めるとしたらまずは『海辺のポーリーヌ』かな。しかし、いまこの作品はレンタルされておらず、ストリーミングもできない。これを見るには1万2000円だして『エリック・ロメール・コレクション DVD-BOX IV』というやつを買わなければならない。
コレクションだからほかの作品も入っている。しかし他の2作品は聞いたこともない作品だ。つまり、実質は『海辺のポーリーヌ』を見るために1万2000円払うわけである。
いま007はタダ同然で見れるが、『海辺のポーリーヌ』を見るには1万2000円かかるということだ。
1990年代にはこの差はなかった。どちらもビデオレンタル店で借りるには300円かかり、レーザーディスクを買うには9000円かかった。当時のコンテンツ産業は、平等で効率の悪いソビエト経済のようなものだった。
いま007はタダ同然で見れて、海辺のポーリーヌは1万2000円かかる。つまり勝ち組と負け組の格差が拡大し、2極化している。コンテンツの世界に「新自由主義」がはびこっているのである。
「007」が好きな人は勝ち組だ。タダ同然でいくらでも楽しめる。一方で『海辺のポーリーヌ』を見たい人は負け組である。1万2000円かかる。
ぼくは両方見たい。「007」はタダで見れるけれども、『海辺のポーリーヌ』にお金がかかっており、差し引きすると90年代と何も変わってない。勝ち組でも負け組でもなく「失われた20年」組である。
バイデン政権もバラマキをやったし、岸田政権も再分配をやると言っている。今、世界は格差是正のために新自由主義とは逆の方向へ舵を取ろうとしている。
しかし、なぜかコンテンツ産業ではグローバリゼーションが進行している。『海辺のポーリーヌ』に明日はあるのか。