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こういうとき「大人になった」と感じる
せっかく読んでくれる人のために、何か参考になること、役に立つことを書きたいといつも思っているのだが、今日は無理だった。昨日は、イヤなことが立て続けに起こったのでその余裕がなく、今日の記事は、単なる日記である。
イヤなことは存在しない
でも、よくよく考えてみればこの世に「イヤなこと」というのは存在しない。たとえ数万人の被害者を出した大震災であろうと、地球の側からすれば必要な新陳代謝の動きを起こしているにすぎない。活発に活動している知っ球に対して
ずっとじっとしていろ
と言うほうが無理なのである。とはいえ、人間の立場から見れば、大惨事である。
このようにに、あらゆる出来事はただ起こっているだけで、それを「好ましい」とか「いやだ」と思うのは人間の勝手な解釈にすぎないのだが、これは理屈ではなくて、昨日そのことを思い知らされた。
またまた行方不明
厄介な問題がたてつづけに起こったのだが、1つだけ取り上げるなら、認知症の父がふたたび行方不明になったことが挙げられる。
自宅から数十キロ離れた場所まで自転車で出かけて、道に迷って帰れなくなっているところを警察に保護された。ぼくの知っている限りで昨年の秋からすでに6回目である。少し遠出すれば確実に迷うということがわかっていながらなおも出かける。そして、家族はそれを止めることができない
深夜に警察官が4人ウチに来て、事情を説明していった。父本人はパトカーで連れて帰られ、自転車は別のワゴン車にのってもどってきたが、このワゴン車を手配するのに他の署の応援を頼んでいろいろ大変だったみたいである。
ぼくはひたすら頭を下げ続けたが、警官の一人が立ち去り際にふりかえり、
お父さんはずいぶん反省しておられた様子なので、あまりキツイことを言わないであげてください
と心配そうに言い残していった。
どういう風に反省したのかわからないが、「帰ったら息子に怒られる」くらいのことは口走ったのかもしれない。おまわりさんのご心配はもっともだ。深夜にこう何度も騒ぎを起こせば、家族はキツイことの一つも言いたくなるだろう。
ぼくも若い頃なら「出かけたら迷うに決まっているのに、なぜそれがわからないのか!」くらいのことを言って詰め寄ったかもしれない。
しかし、昨日は何も言わなかった。言ってもムダだということがわかっている。何をいっても明日には忘れてしまうので、これからも延々と同じことを繰り返すだけであり、そのことについてはすでにあきらめている。
だからおまわりさんの予測に反して、昨晩は、一言もなにも言っていない。
こういうときにふと
自分は大人になったな
などと思う。若い頃なら考えられないことだ。