怒りのツボ、笑いのツボ
ツボというのはもともと東洋医学の「気」の概念にもとづくもので、気のエネルギーが出入りする穴がツボだ。
西洋医学の立場からすれば、そもそも気なるものが存在するかどうかすら定かではないわけだが、にもかかわらず、ツボの存在はいまやグローバルに認められている。
現在、WHOでは361のツボが定められているのだそうだ。
そして、ツボは経絡以外の意味でも広く使われるようになった。たとえば「笑いのツボ」という言い方がされる。
どれだけ笑ってはいけない状況でも、そこを押されると笑ってしまうのが笑いのツボだ。
たとえば、ぼくはだいぶ前に母親を亡くしているのだが、そのダメージから数年立ち直れなかった。厳密に言えばいまでも立ち直ってはいないのだが、それは弟もそうだろうし、父もそうだろう。すっかり立ち直るなどということはない。
しかし、斎場からの帰り、クルマを運転していて、道路わきに交通標語が掲げられていた。看板1つに1文字ずつ、
と書かれたのが並んでいたのである。こちらから見ると逆になるので当然逆に読める。
涙にかすんだ目で、なんとなく
と口に出したとたんに笑ってしまった。そのときの僕の落ち込みは尋常ではなく、妻は自殺するんじゃないかと飛行機でやってきたばかりだった。
そこで、たんなる
を音読して笑ってしまったのであった。それを横で見ていた妻はひじょうにあきれた表情で
とぼそっと言われたことをおもいだす。このようにツボには逆らえないパワーがあるのだ
『ベティ・ブルー』(87)というフランス映画があるが、話の途中で主人公の親友の母親がなくなる。
友人のあまりの落ちこみに、みなで抱き合しめてなぐさめる。全員号泣である。そこで友人の腕時計のアラームが鳴りだしてしまうのだ。結婚行進曲である。泣きながらだきしめていた人々は我慢できずに笑いだす。
こういうのが笑いのツボだ。あらがうことができない。
ツボには笑いのツボだけでなく。悲しみのツボや怒りのツボなどものある。怒りのツボは「地雷」という言い方をされることもあるが、人により、どこにあるかわからないから地雷なのである。
ロシアのウクライナ侵攻が怒りのツボだった人もいるだろう。
誤送金された4630万円を着服した男性に怒りのツボを刺激された人もいるかもしれない。ぼく自身はどちらもツボではなかったのだが、これがツボに入ってしまった。
怒りのツボであり、絶望のツボだ。
なんで?と思う人がほとんどだろうが、人に説明できないからツボなのである。
これ自体はもちろん当然の成り行きだ。ドミノ倒しにたとえれば、最初のドミノでも最後のドミノでもなく、中間の1枚にすぎない。
しかし、わけあってぼくにとってはかなり落ち込んでしまうツボだった。これ以降、いろんなことに腹が立ってきて、おもしろいことを書くのが無意味に思えて仕方がない。
そういうわけで、今日は「笑いは何の力にもならない」という趣旨で書き始めたのだが、
の現場をストリートビューで確認し、『ベティブルー』のDVDを見直しているうちに、やっぱり笑ってしまったのである。
だからといって笑いが強いと言うつもりはない。強いのはツボである。それは怒りのツボもおなじだ。
もし何かが世界を亡ぼすとすれば、それは人々の怒りのツボが押されたときであり、恐怖のツボが押された時だ。いやおうのない力が働いてしまう。しかし、笑いのツボも同じくらいの強さは持っている。
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