自分のバカさ加減が嫌になる午後
ここ最近、自分のバカさ加減に嫌気がさす瞬間がある。
それは、あまりにも20代と今では考え方が変わり、見える世界が変わってしまったから。
過去の自分を「ああ、もうなんで〜?!」と罵ってやりたい気持ちになって、自分を正当化したいから誰かのせいにしてしまいたくもなって、恥ずかしくて穴があったら入りたくなり、過去の自分の形跡を全部消したい衝動にも駆られる。
私は自分は特別だと思っていたの。
これがキャーーーって言いたくなるくらい、今は恥ずかしい。
ううん、今でもそう思いたい自分って心のどこかにいるから、ほんのちょっと前までの自分を、そんなにバカにするもんじゃないと思うけど、気持ちのいい夢を見ていたかったんだなとハタと我に返ったのである。
私は成功に執着していたし、個人的な願望を叶えることに執着していたし、自分はできるって思い上がっていた。
最初からそんな所を目指さなければ、あんなにバカにされて辛い思いをすることもなかったし、高いお金を出してセミナーに行ってぞんざいに扱われることもなかったし、無理をして苦しいことに挑戦してその後に虚無を味わうこともなかったのにね。(もちろん、楽しいこともいっぱいあったんだけどさ。)
今の私を本当に支えてくれているのは、お金を払って時間を使って夢のある話をしてくれた人ではなくて、私が何もしなくても、欠けている普通のままの自分でいても、側にいてくれる人だったよ。
本当に私のことを見てくれて、困った時は助けてくれて、会いたいと思ってくれるのは、私が成功しなくても、無理しなくても、特別じゃなくても大丈夫と言ってくれる人だったのに、私を見ようともしない「すごい人」や「成功者」に気に入られたいと思っていたの。
恥ずかしいよね。
こんな気持ち、認めたくなかったんだよね。認めたら負けるような気がして。
認めたら失敗した落伍者になるような気がして。
でも、今思うのはそんな成功を、最初から求める必要なかったんだってこと。
これは求めて求めて、散々カッコ悪くもがいたから思えることだろうけど、結局自分以上のものは得られないし、ミラクルは滅多に起きないからミラクルなんだ。
自分の身の丈を知ることの大切さを今更ながら身を持って学んでいる。
そして、限りない欲望と幻想は、却って人を不幸にする。
本当は小さなことで満足できるのに、大きなことを思い描くことで、それが手に入らない自分がダメなように思えて来るの。
大きなことを求めすぎているだけなのに、それに見合わない自分はバカで情弱で怠惰で努力しないダメな人間みたいに思えて来るの。
そして、周りの人に対しても、優しく心の広い人のようなフリして、本当は内心バカにしていたのかもしれない。
高慢だよね。
そんなことみんなにバレていたんだ。
こうやって、自分の情けなさを隠さず書いてみて、少し気持ちがスッキリした。
恥ずかしいけれど、恥ずかしさを誰かに打ち明けられるというのは、清々しい。
ダサいけれど、でもこれが私なんだもん。
そうやって今笑えるのが嬉しいし、これからはもっと自分の周りにいる人の良さを素直に認められる気がする。(あまり他人に興味はないのだけど。笑)
これは今まで見ていた世界とは全く違う世界だ。
今までは何か「いいもの」を目指していたけれど、これから体験する世界は等身大の自分で、ただ「できること」や「在るもの」や「側にいてくれる人」と楽しむ世界なの。
それってとても気楽だし、純粋に楽しいって思える。
苦しくなくても、頑張って何かを掴んで攻略するゲームをしなくても、いいのよね。
ちょっと、自分を責めるぐらい苦しくないとダメと思っていたけど。笑
最高の最善の〜じゃなくて、なんかちょっといい感じ、なんか楽しい、なんとなく笑える毎日でいい。
超高級な、最上級の限られた人しか食べられない、極上の料理を満腹になるまでじゃなくて、誰でも食べられる料理だけど愛情を込めて、お腹を空かせて、大好きな人と食べるのがいい。
私はうまいこと書けないし、うまいこと喋れないし、頭も悪いけれど、結局私は美しいものを見たときや、愛する人の腕の中にいるとき、バカなことして笑っているときの、言葉がなくなるスピーチレスな瞬間が好きなの。
それでいいじゃない。
そう思うようになったんだよね。
小さく温かく、自分のできる範囲で、楽しく生活することをこれからは大事にしよう。
過去の自分は過去の自分で、やり切ってくれたから、今こうして手放せるのだろう。
きっとやり切らなかったら、今も煮え切らなくて夢にしがみついていたかもしれない。
夢にしがみついて、それを叶えていく人も中にはいるから、そういう生き方もいいけれど、そこにしがみつかない生き方もあるんだよね。
恥ずかしくて絶対に言いたくないこと吐き出したから心が軽くなった。
さあ、愛犬と遊ぶ時間だ!