【連載第1回/全15回】【「なぜヴァイオレットの義手は動くのか?」/本当はエロくて怖い『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』】
※▼第Ⅰ章.エロス篇
第1節.ヴァイオレットのエロス
・第ⅰ項.燃え立つ情欲の赤とイノセントの白
・第ⅱ項.〈水〉に濡れるヴァイオレットの裸身
・第ⅲ項.〈花びら〉とヴァイオレットの〈衣装の襞〉
※※この全15回の連載記事投稿は【10万字一挙版/「なぜヴァイオレットの義手は動くのか?」を解く最低限の魔法のスペル/「感動した、泣いた」で終わらせないために/本当はエロくて怖い『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』/あるいは隠れたる神と奇蹟の映画/検索ワード:批評と考察】の分割連載版となります。
記事の内容は軽微な加筆修正以外に変更はありません。
こんにちは。京アニのほとりのひと、ユルグです。
「なぜヴァイオレットの義手は動くのか?」
本稿はこの一見へんてこな〈謎〉にひとつの答えを提示するための少しばかり長めの読み物です。
その結末までには題名にあるように、以下の四章をたどっていただくこととなります。
「第Ⅰ章.エロス篇」ではヴァイオレットとギルベルトそれぞれのエロスを探究していきます。「そのエロスってエロいの?」という疑問はひとそれぞれだろうと思います。
次の「第Ⅱ章.残酷篇」では『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』に潜む意外な「残酷さ」をえぐり出してみます。「えっ、そんなお話でしたっけ?」との声が聞こえてくるのは百も承知なのですが、広い心でお付き合いいただければ楽しめるはずです。
さて、結論の手前は「第Ⅲ章.奇蹟篇」として「この映画が描いた奇蹟とは何か?そしてこの映画自体が奇蹟であるとはどういうことか?」を前のふたつの章をまとめるかたちで物語っていきます。
そして終章では「なぜヴァイオレットの義手は動くのか?」に再び出逢って答えを出します。肯定的にせよ否定的にせよ「なん…だと…!?」となることは保証します。
果たしてこのレヴューでも解説でもいわゆる考察でもない、いささか奇妙な読み物にどういった価値があるのかはわかりません。
筆者が云えることは『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』から受けた圧倒的な衝撃をそのまま衝動として打ち返したらこうなったということです。
ただひとつ言えることは、これはヴァイオレットへの愛が書かせたものであるということに間違いはありません。(ここ重要です)
ということでジャンルとしては批評ということになりますしそのつもりで書きました。決して適当な自分本位な暗号文を書きなぐったわけではなく徹底的に他者が読むことを心がけました。当初予定していたよりも遥かに分量的にも執筆にも推敲にも長くかかってしまいましたがその間は楽しい時間でした。
おそらくこの文章を最後まで読み通す方は存在しないだろうと思いますが――目次だけでも見ていってやってください――もしそんな方がいらっしゃいましたらTwitterなりここなりに何でもいいので意見をいただければ感謝に堪えません。もちろん途中までの感想も大歓迎です。
ではこの手紙の封を切るかもしれない方へ。
以降があなたへのメッセージです。
・本文はすべて「です・ます調」ではなく「だ・である調」を用いる。
・本稿は『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』及び『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 永遠と自動手記人形 』並びに同TVアニメシリーズを鑑賞視聴済みであることを前提としているため、あらすじやストーリーをなぞることは省いている。
・セリフとカットの指定は『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンSTORYBOARD』から、画像は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 永遠と自動手記人形 』Blu-ray及び『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式HP、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式Twitterから、ともに著作権法第32条1項に則り引用させていただいた。また入場者特典の画像はすべて筆者所有のものである。
・その他引用・参考文献の書影はAmazon及びhontoから、その他画像、語句のリンクは利便性を考えWikipediaを主に用いた。
・本稿では重要な意味合いを持つ花々に触れる場合でも花言葉には一切言及しない。
▼第Ⅰ章.エロス篇
『劇場場ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は”違和感”に満ちた作品だ。
違和感の豊穣さこそこの作品の最大の魅力であるといってもいい。
本論の読者はこれから何度もこういったそれ自体に違和感を覚える”断言”や”憶断”に出逢うことだろう。煙に巻くような言い回しは避け率直に文意を補足していこう。
「どういう違和感か?」はひとそれぞれであろうし、まったくないというひともいることだろうが、それを列挙するのではなくひとつに集約して提示しよう。
それは「ヴァイオレットがこれまでの彼女と違って見える……」というものである。
その原因は本作ではじめて代筆者としてではない手紙の書き手となったというだけではなく、彼女がどこまでもギルベルトという特異点に収斂していくという視野狭窄な展開にある。
そしてそれが本作で描いたものであっていいのである。
それを本論は「ヴァイオレットが醸すエロティシズム/ヴァイオレットの意志するエロス」に起因するものであることからはじめる。
ヴァイオレットのギルベルトへの抑えられないエロスの結末――。
それこそが本作の”違和感”の正体である。これをベースに本作を紐解いていこう。きっと密かな”違和感”など吹き飛ばしてしまう彼女に出くわすことになるはずだ。
◆
完結編である本作において、筆者が目にしたヴァイオレットという女性の最後の姿は、一般的に評される「メロドラマ的な予定調和的展開を圧倒的なアニメーション技術によって力技でねじ伏せた」というだけではなかった。
それとは別のもう一つの主旋律、あるいは副旋律にこそがこの作品が作り上げてきた圧倒され息を呑むような真の凄みであることを伝えたいと思う。
まずは、本稿「第Ⅲ章.奇蹟篇」にたどり着くための条件の一つとして「ヴァイオレットとギルベルトのエロスとは何か?」からはじめよう。
ここでいうエロスの定義であるが
・一般的な形骸化した性的欲望
・ギリシア神話の愛の神が象徴するもの
・フロイトのタナトス(死の欲動)に対してのエロス(生の欲動)
のいずれも含んでいるが、なにより
・あまりに美しいプラトンの『饗宴』のエロスで描かれたある対象へ恋い焦がれる熱情がもっともふさわしい。
結論としては
1.ヴァイオレットのエロスは無垢(イノセント)である
2.ギルベルトのエロスは背徳である
となる。
それではまずヴァイオレットから見ていこう。
第1節.ヴァイオレットのエロス
まず『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品、そして主人公であるヴァイオレット及びギルベルトの関係を、『源氏物語』の五十四帖の巻名のひとつである第5帖『若紫』を想起しないでいることはできない。
西洋での書簡をとおしての恋愛といえば、まず書簡体小説のモデルともなった『アベラールとエロイーズ』が連想される。こちらの宗教的モチーフは本作に大いに通底している。
しかしそれ以上に、光源氏が若紫(のちの紫の上)を見初めた年齢が満11~12歳であることからも、いわゆる光源氏計画をダイレクトに踏まえていることは明らかだ。
若紫の英訳は〈Young Violet〉である。
・第ⅰ項.燃え立つ情欲の赤とイノセントの白
ヴァイオレットのうちに燃え上がっている火を戦時下での殺傷行為への罪責の隠喩ではなく(それはテレビアニメ版において一応の解決が済んでいる)ギルベルトへの慕情としてとらえる。
それこそがヴァイオレットが唯一囚われ燻り続けている熾火だからだ。
ギルベルトの生存の可能性を知らされ、ヴァイオレットは豹変する。一気に火がつき、抑えきれないほどに燃え上がる。
次の「2.ギルベルトのエロス」で述べるギルベルトの熾火とはあまりに対照的だ。
ここでのヴァイオレットの衝動は慕情という静かで穏やかな言葉を超え出る。
ギルベルトへの愛の執着の強さは、焦燥、抑えがたい衝動、駆り立てる激情であり、さらには、渇望、突き動かす情念、そして、貪婪、情欲だろう。
ずっと溜め込まれ堰を切ったように溢れ出るそれは、無軌道ながら決して淫奔ではない。赤色の炎の熱度が高まれば白色となるように真っ白な無垢だ。
(『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』 第4弾 入場者特典 クリアファイル 筆者所有品を撮影)
イノセントなエロス。
それがヴァイオレットだ。
(石立太一監督は舞台挨拶で「京都アニメーション内ではヴァイオレットのことを“真っ白な人”と呼んでいる」と発言。井中カエル氏による評を参照)
・第ⅱ項.〈水〉に濡れるヴァイオレットの裸身
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』全作をとおして、ヴァイオレットのエロティシズムが直接的に表現される場面はほとんどない。
例外的にエロティックなシーンは、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』でイザベラ・ヨークとともに入浴するヴァイオレットの裸身だろう。(以下画像を参照)
〈雫〉の滴る嬌態
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 永遠と自動手記人形 』Blu-rayより)
ヴァイオレットが起草した「海への讃歌」も〈水〉とエロスの視点で見ると示唆的である。
"恵みの海よ
全て世界に繋がる海よ
カモメは舞う あなたの空を
魚は泳ぐ あなたの中を
貝は潜む あなたの底に
あなたは光を与う
あなたは命を育む
あなたは愛を注ぐ
あなたに寄り添い続ける 果てるまで
今も過去も未来も包み
たゆたうあなたに身をゆだねて”
『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデSTORYBOARD』(京都アニメーション、2020年)、pp.89-90
官能性は本作の劇場版で〈水〉の多用によって象徴的に表現される。
ではなぜ〈水〉なのだろうか?
次項においても詳しく見るが、いうまでもなくヴァイオレットは〈花〉である。
〈花〉を咲かせるために必要なものとして真っ先思い浮かべるものは〈水〉と太陽光であろう。
浴槽に浸されランプの灯りに照らされるヴァイオレットという花――。
そしてエロスの側面から〈花〉を見るならば、なによりそれを〈鑑賞する人〉そしてその〈芳香と蜜〉に魅了されるものがいなければならない――。
ここでの〈水〉以外の〈光〉と〈魅了されるもの〉たちは本論の端々に現れることになるはずである。
なお、海辺でのクライマックスのエロス的意味については「Ⅲ.奇蹟篇」で語る。
※イザベラとの入浴はエロスとは別に「Ⅱ.残酷篇」でも重要な意味を持つ。
・第ⅲ項.〈花びら〉とヴァイオレットの〈衣装の襞〉
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は花々で彩られている。
ヴァイオレットをはじめとした登場人物の名前だけでなく舞台の隅々にもいつも咲きこぼれている。
しかし花開く前の蕾が印象的に登場することはない。
蕾はヴァイオレット自身だからだ。
彼女の極度に肌を隠した衣装が閉じられた花弁だ。
ヴィクトリア朝期の性的禁欲を示すようにピシッと倦むことのない普段のヴァイオレットの腰より下、その背面――。
そこでは蕾がほころんでいる。
白いスカートのプリーツのヒラヒラとした褶曲が実に蠱惑的だ。
(以下画像を参照)
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式HPより)
白から覗く色彩。
“身体の中で最もエロティックなのは、
衣服が口を開けている所ではなかろうか。"
”……エロティックなのは間歇である。
二つの衣服(パンタロンとセーター)、
二つの縁(半ば開いた肌着、手袋と袖)の間に
ちらちら見える肌の間歇。”
”誘惑的なのはこのちらちら見えることそれ自体である。
更にいいかえれば、出現―消滅の演出である。”
(強調は筆者による)
ロラン・バルト、 沢崎 浩平訳『テクストの快楽』(みすず書房、1977年、原著1973年)、p.18
ヴァイオレットの世界に密生した爛熟した花々に対して、秘された蕾とそのほころび。(以下画像を参照)
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 永遠と自動手記人形 』Blu-rayより)
もはや贅言を要しないだろう。花とその襞が何を象徴するものであるか。
花は誘う。蜜で誘う。
ヴァイオレットはエロティックに誘惑する。
誘われた蝶や蜂、バッタを狩るのがカマキリである。
カマキリは花粉や蝶の鱗粉で汚れたみずからを拭うという。
次のギルベルトのエロスに移ろう。
【第1節.ヴァイオレットのエロスのまとめ】
【ⅰ】白く高まったギルベルトへのイノセントな情欲。
【ⅱ】花(ヴァイオレット)を育てる〈水〉の官能性。
【ⅲ】蕾のほころびで誘惑するヴァイオレットの妖花の蠱惑。
(連載第2回「第2節.ギルベルトのエロス」に続く)
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