【連載第4回/全15回】【「なぜヴァイオレットの義手は動くのか?」/本当はエロくて怖い『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』】
※▼第Ⅱ章.残酷篇
第1節.なぜユリスは死ぬのか?〈分身するキャラクターたち〉
・第ⅴ項.ギルベルトはイザベラ・ヨークの分身である
・第ⅵ項.イザベラとユリスは〈分身関係〉にある
・第ⅶ項.ギルベルトとユリスは〈分身関係〉にある
・第ⅷ項.イザベラとユリスはギルベルトの分身である
第2節.承前 ユリスはなぜ死ぬのか?〈残酷〉
・第ⅰ項.ユリスの〈死〉の機能【物語の分岐点】
・第ⅱ項. ユリスの〈死〉の機能【残酷な効果】
※※この全15回の連載記事投稿は【10万字一挙版/「なぜヴァイオレットの義手は動くのか?」を解く最低限の魔法のスペル/「感動した、泣いた」で終わらせないために/本当はエロくて怖い『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』/あるいは隠れたる神と奇蹟の映画/検索ワード:批評と考察】の分割連載版となります。
記事の内容は軽微な加筆修正以外に変更はありません。
・第ⅴ項.ギルベルトはイザベラ・ヨークの分身である
【①】ヴァイオレットとテイラーの〈分身関係〉と対称的に、両者は戦災孤児としてそれぞれを引き取る決意をしてともに暮す。
【②】①に加え、ヴァイオレットとテイラーの〈分身関係〉と対称的に、ギルベルトとイザベラの物語内の役割は手紙を受け取る立場である。(※イザベラは手紙の授受の双方の担い手であるが重みを持つのはやはり受け取り手としてだろう。)
【③】両者ともに相手を遠ざけなければならない過去である――ギルベルトは戦争での罪責をイザベラは出自に縛られた――役割を持つ。
【④】ヴァイオレットとの関係――。親密な関係――。
ギルベルトはヴァイオレットにとってはじめての「あいしてる」ひとであり、イザベラははじめての「ともだち」である。
【⑤】「第Ⅰ章.エロス篇第1節.ヴァイオレットのエロス第ⅱ項.〈水〉に濡れるヴァイオレットの裸身」で触れたように、ヴァイオレットはイザベラとともに入浴し肌をはじめて晒す。
『劇場版』の肩を出したこれまでにないエロティックな第1弾キービジュアル(以下画像を参照)は明らかにギルベルトへの媚態である。
ギルベルトとの再会の過程が終始、〈水〉の中で繰り広げられるように、『外伝』の入浴での〈水〉とエロティシズムはこれの〈予示と反復〉である。(※この〈水〉が海水に変わる意味とヴァイオレットという〈花〉の回開花に必要な〈光〉が〈月光〉となる意味は結末近くで述べる。)
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式HPより)
以上をギルベルト≒イザベラの〈分身関係〉の論拠とする。
・第ⅵ項.イザベラとユリスは〈分身関係〉にある
【①】イザベラとユリスはそもそも眼鏡に髪の色という外見的特徴(以下画像を参照)がそっくりである。
またイザベラは喘息を患っておりユリスは病人である。
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式HPより)
【②】イザベラとユリスはヴァイオレットと物語の途中で別れる。
その後ふたりの意思とヴァイオレットの代筆した手紙は第3者によって彼女の〈分身〉であるテイラーとリュカに届けられる。(※正確にはもちろんリュカへの手紙は書かれることはなく電話がその役割を代替する。)
また、その仲介をするのはいずれもベネディクトである。(※ユリスとリュカの場合は手紙が電話にかわったようにアイリスの方に比重が置かれる。)(以下の画像を参照)
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式Twitterより)
以上をイザベラ≒ユリスの〈分身関係〉の論拠とする。
・第ⅶ項.ギルベルトとユリスは〈分身関係〉にある
【①】指切り
云わずもがな。
ユリスとの離れた小指はラストでギルベルトと結ばれて終わる。
(以下画像を参照)
(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』p.73)
(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』p.160)
【②】ユリスの病室でヴァイオレットを捉えるギルベルトの視線
ユリスがヴァイオレットに指切りを教え、指をつないでいるシーンで、まるで誰かがユリスの背から眼鏡越しにうつむいたヴァイオレットを見ているように、彼女を捉える大変印象的なカットがある。
(以下画像を参照)
(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』p.73)
これはユリスの死を暗示する枯れて萎れた白薔薇のアップの直後のカットであり、まるで後のギルベルトとの交代を〈予示〉するかのようである。(以下画像を参照)
(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』p.73)
つまりこの病室にはギルベルトが居る。(※この意味は「第Ⅲ章.奇蹟篇」で説明する。)
ユリスの背後に透明で……。幽霊ように……。ギルベルトが――。そう見える。
ヴァイオレットを収めているのはユリスの左の眼鏡の内側からであるが、なぜか?
ギルベルトに右目はない。
【③】ヴァイオレットがユリスに掛ける言葉
「第ⅲ項.ヴァイオレットとリュカは〈分身関係〉にある【①】」を参照。(※「伝えたいことは出来る間に、伝えておく方が良いと思います。」というセリフ。)
ヴァイオレット≒リュカの〈分身関係〉が成立していればギルベルト≒ユリスの〈分身関係〉が成立すると仮定できる。
【④】ユリスとリュカの電話での会話
リュカ「会いたくないって言われて……悲しかったけど、きっとユリスはその方がいいんだって思ったから、ガマンした……。」「けど……どうしてもガマンできなくて……何度か病院に行ったんだ……。」
ユリス「ゴメン……ひどい……こと、言って……。」
リュカ「ううん……。僕、全然怒ってなんかないよ。」「……ユリス、僕たちずっと友達だったろ……。これからも、ずーっと友達でいようね。」
ユリス「……うん……うん……。……よかった……。……ありがとう……。」
(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』pp.130-131)
以上の会話を「第ⅲ項.ヴァイオレットとリュカは〈分身関係〉にある【①】」の論拠からヴァイオレット≒リュカの〈分身関係〉としてリュカをヴァイオレットに置換する。
そしてギルベルト≒ユリスを求めているので、ユリスのセリフをギルベルトのものと考えてみる。(※引用部のリュカをヴァイオレットのセリフとしてユリスをギルベルトのセリフとして置き換えてみる。)
そうするとこの会話はそのままヴァイオレットとギルベルトの会話の〈予示〉となっているのがわかるだろう。
以上をギルベルト≒ユリスの〈分身関係〉の論拠とする。
・第ⅷ項.イザベラとユリスはギルベルトの分身である
【①】「第ⅴ項.ギルベルトはイザベラ・ヨークの分身である」と「第ⅵ項.イザベラとユリスは〈分身関係〉にある」、「第ⅶ項.ギルベルトとユリスは〈分身関係〉にある」から、ギルベルト≒イザベラ≒ユリスの〈分身関係〉は妥当である。
【②】ギルベルトには兄のディートフリート、イザベラ(エイミー)は妹のテイラー、ユリスは弟のシオンと3組ともにきょうだいがいる。
〈きょうだい関係〉(※矢印は手紙の送付先を示す)
ギルベルト*ディートフリート
| |
イザベラ ⇔ テイラー
| |
ユリス → シオン
左の縦列において3者が対応することがわかる。
※ギルベルトは弟なので逆位置ではないか?と思われるかもしれないが、上図の右列の3者には左列の3者とは違い〈きょうだいを持つ〉以外の共通性はない(あっても微弱な)ため、あくまでも左列の〈きょうだい関係〉の属性を抽出する役割しかない。
またこれは、エカルテ島での再会時のディートフリート(兄)からギルベルト(弟)への決別のメッセージがユリス(兄)からシオン(弟)へのお別れのメッセージと重なっており、手紙の授受という本作の構造とはまた別の〈予示と反復〉になっている。
以上をギルベルト≒イザベラ≒シオンの3者の〈分身関係〉の論拠とする。
【第1節.なぜユリスは死ぬのか?〈分身するキャラクターたち〉まとめ】
【①】〈メッセージの授受と分身関係〉
・ヴァイオレット≒テイラー≒リュカ⇒分身関係
・ギルベルト≒イザベラ≒ユリス⇒分身関係
ヴァイオレット→ギルベルト(弟という属性)
| |
テイラー ⇔ イザベラ ↕(属性の反対の関係がメッセージ
| | 授受関係の反転を示す)
リュカ ← ユリス (兄という属性)
整理すると上図のようになる。
このように
【1】テイラーがヴァイオレットの〈分身〉であるならば、ユリスとリュカだけ矢印の向きが逆になっていないか?
【2】ヴァイオレットの〈分身〉をリュカではなくユリスに設定するか、リュカが手紙を送る物語にしたほうが整合性が取れるのではないか?
と思われるかもしれない。
この点を説明しよう。
【1】まずこれはギルベルトは弟であり、ユリスは兄であるという〈兄弟関係〉での属性を明確するためである。
そしてギルベルトの弟、ユリスの兄という属性が反対であるようにメッセージの授受関係も反転しているのである。
よって妹という属性を持つテイラーは双方とも違う授受両方の役割をになう。
【2】では、もし本作がリュカ→ユリスへとメッセージを送る物語だったとしたら?そちらの方がきれいな関係図式にならないか?
それは無理なのである。
なぜなら問題はリュカではなく、ユリスの弟のシオンが稚すぎるということだからである。
『外伝』でテイラーが3年の成長時間があったのに対してシオンにはない。
つまりユリスの家族構成ではシオンは手紙を書けないので、必然的にユリスが手紙、電話、メッセージを送る側になるしかなく、受け取る側となることはできない。
リュカがユリスに手紙を送ることはできる。しかしシオンはユリスに送れない。だからユリスは受け手側ではなく送る側なのだ。
いや、リュカがヴァイオレットの〈分身〉なのだとすれば、ユリスはリュカに対しては受け手となり、シオンに対しては送り手側にもできたのではないか?
しかしそうすると今度は先に説明した、ユリス(兄)のギルベルト(弟)との〈兄弟関係〉の反転がもたらす対照性(※ギルベルトの弟であり受け手とユリスの兄であり送り手という対照的な〈分身関係〉のこと)が意味をなさなくなるので、本作における〈兄弟関係〉という軸がぶれてしまう。
さらにユリスとリュカが双方ともに授受両方の属性を持つというのは作品の構成として無駄に煩雑となり、かつ『外伝』のテイラーとイザベラの相互授受という特徴と重複してしまう。これもまた対照性が持つ効果も免じられてしまうだろう。ブレる上に単調では意味がない。
なによりヴァイオレットとギルベルトの〈分身関係〉としての〈予示と反復〉構造と一致しなくなってしまう。
【②】〈予示と反復〉の構造
ここまで詳述してきたように、『外伝』と『劇場版』からは髪の色などの見た目や生い立ちなどの背景、家族構成などの属性、薔薇などの花による象徴によるキャラクターの〈分身関係〉を取り出すことができる。
そしてさらに、そうして成立した〈分身関係〉は、先行するキャラクターの言動の意図に、他の分身を前もって暗示する〈予示〉を、それをくりかえし変奏する〈反復〉をもたらしている。
各キャラクターは〈分身〉を持つことで、それぞれが違う役割を持ち独立しながらも他のキャラクター間に影響を与え合い、作品自体にもダイナミックな推進力を与えている。
『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の一見静かな文芸作品のような面持ちの裡に作動している機構の力学は、優れた推理小説のように読むことでこれほどまでに精密でスリリングになるのである。
◆
※観客の一部の声として作劇法のセオリー的に、ヴァイオレットと新たな愛を交わす相手としてディートフリートやホッジンズを望む声があるが、これまでの〈エロス〉や〈分身関係〉、〈予示と反復〉の物語の構造分析からも、それはありえないことがわかる。
第2節.承前 ユリスはなぜ死ぬのか?〈残酷〉
さて、本章の冒頭に「〈ギルベルトの生存〉こそがユリスを死に至らしめた」〈残酷〉であり、「ユリスはギルベルトが戦火から生還し、ヴァイオレットと再会するために犠牲に供されるのである。」と述べた。
まずは先述の「分身関係にある両者がメッセージを贈り合う関係にあるものと同時に同一の空間を占めることはない。また役割を重複するものが同時に存在することはないという法則」の発展的解消をもたらすユリスの〈死〉にどのような〈残酷〉な機能があるのか確認してみよう。
・第ⅰ項.ユリスの〈死〉の機能【物語の分岐点】
『劇場版』も後半に入ってくると、おもに(ギルベルト)≒ユリスの〈分身関係〉と代筆者ヴァイオレットという3人の構図が解かれ、最終的な段階へと遷り変わらなければならなくなる。
つまりヴァイオレット→ギルベルト/リュカ←ユリスの4者関係として全面化しないために2組同士がそれぞれはっきりと浮き上がってから分離し後者の1組が決着する。(※これが発展的解消の謂である。)
その分岐点となるのはギルベルトの生存がヴァイオレットにほのめかされるところである。
そうすることでヴァイオレットはユリスのもとから離れることとなり、ユリスのメッセージの受け手となるリュカが前景化する準備が整う。
ややくりかえしになるが、以後詳しく述べると、ここでいままで背景に退いていたギルベルトとリュカがせり出してくることによって、ヴァイオレット≒リュカ、ギルベルト≒ユリスの2組の〈分身関係〉が同一の舞台に上る。
よって「同一の空間を占める」ことになり、また「重複するものが同時に存在すること」になり法則に反する。(※もちろんここで法則と呼んでいるのは前にも述べたように恣意的なつじつま合わせではなく、物語が収束していくに連れて伴う必然的な「整理」と「刈り取り」の謂である。)
よって物語の進行はまずヴァイオレット→ギルベルト、ユリス→リュカのふたつの関係性をはっきりと分ける。そのために舞台もまた遠く隔たったエカルテ島と二分されることになる。
そして物語の位置の前後関係は当然ユリス→リュカが先に置かれることとなる。
前後関係が決まるということは物語上のそのエピソードの機能も決定するということである。
この決定が先にあってそれからこの物語『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』ははじまっているのである。
ユリスの死の意味のひとつはこの決定がもたらしたものだ。
この観点からはユリスは病気だから死ぬのではない。
後述するように死ぬことで〈分身関係〉と〈予示と反復〉の構造を活かすことになる。(※ユリスの死の真の意味は本稿の末尾近くで明らかとする。)
物語はここから完全にヴァイオレットとギルベルトに焦点が移る。
そういう物語だからこそ、ユリスは死ぬ。
これによってヴァイオレットはユリスの代筆者という手紙の書き手としてもリュカという〈分身〉からも解放されて素肌をさらし、みずからの欲望の赴くままにエロスを全開にすることが可能になる。
ユリスが死ななければ、物語が先に進まない。
これは〈残酷〉だろう。
(※ヴァイオレットがユリスの代筆者の役割を途中で離れ、遠くギルベルトへと旅立つというのはこれまで一度もその依頼を完遂させないことがなかった彼女にとってはじめての異常事態であるといえる。この点をぜひ熟読玩味して欲しい。次項でまたすぐに触れる。)
しかし〈残酷〉の意味はただこれだけではもちろんない。
これではまだギルベルトの生存と引き換えであるという点がいささかも論じられていない。
それは次項に譲ろう。
ただここでこうは云える。
〈分身関係〉と〈予示と反復〉という構造がなければユリスの死は必要なかったのかもしれない。
あるいはただの物語のひとつの挿話の演出上の死とすることもできた。
しかしもしそうであったとすれば本作『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、芯のない泣かせのための泣かせ作品、通俗的な恋愛劇に堕したことだろう。
ユリスの死に集約する構造と〈残酷〉の意味があればこそ、本作は「第Ⅲ章.」に見る〈奇蹟〉が宿る作品になるのである。
・第ⅱ項. ユリスの〈死〉の機能【残酷な効果】
前置きが長くなった。では「第1節.なぜユリスは死ぬのか?【分身するキャラクターたち】」の〈分身関係〉と〈予示と反復〉の構造がもたらすユリスの死の意味を踏まえて、ここでは本格的に〈残酷〉の内実に迫ってみよう。
次のシーンを思い出してほしい。
危篤のユリスのもとに駆けつけた彼とアイリスとの会話である。
ユリス「ヴァイオ……レット……?」
アイリス「かわりに来たアイリスよ。ヴァイオレットは今、遠くにいるの。大切な人とやっと会えて……」
ユリス「あいしてる……を、教えてくれた人……?」
アイリス「……うん……。そうよ。」
ユリス「……生きてたんだ……よかった。」
アイリス「……」
(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』pp.126-127)
このシーンは意味深長であろう。
ヴァイオレットは依頼人であり短いながらも親交を深めたユリスの臨終に居合わせない。
ここで観客は少なからず、あるいはユリス以上に落胆を覚えたかもしれない。
ヴァイオレットは明らかにリュカへの手紙を書くという仕事をやり残している。そして代わりにヴァイオレットは死が間近に迫ったユリスを置いて遠く不明のひとを探しに行っているのである。
これもひとつの〈残酷〉だろう。
このシーンは前項で論じたヴァイオレット≒リュカ、ギルベルト≒ユリスの〈分身関係〉の紐帯が緩みヴァイオレット→ギルベルトへと遷移する接線、リミットである。
あたりまえなのだが、上記の会話でユリスはヴァイオレットにとって「あいしているを教えてくれた人」ではないし、ユリスにとってもヴァイオレットは交換可能な相手であり必要なのはリュカにメッセージを残すことであることを印象的に表現している。
さらにギルベルト≒ユリスという〈分身関係〉の亀裂を、これから死ぬユリスの声で「……生きてたんだ……よかった。」と云わせることで、みずからがスケープゴートであること、ギルベルトの罪を贖う贖罪の羊であることを、これ以上ないほど強烈に暴露したかのようである。
ユリスとギルベルトの〈分身関係〉はまさに身代わりになるためのものであったかのように――。
〈分身関係〉の亀裂を〈死〉をもって鮮明に描くことで、逆にその構造を確かにするために、ただただヴァイオレットのギルベルトへの執着をより強く表現するために、ギルベルトの生存を彩るために、ユリスは死ぬのである。
観客を落涙させるためではない。
くりかえそう。
ユリスはギルベルトの〈分身〉として代わりに犠牲となった。
そしてギルベルトは贖罪と命を得ることになったのである。
これが〈残酷〉の意味、実相である。
その後も確認しよう。
ヴァイオレットはホッジンズから聞かされる。
ホッジンズ「……ユリス君が大切な人に会えたこと……喜んでいたって……。」
ヴァイオレット「……。」
ホッジンズ「……。」
ホッジンズ「朝になったら、もう一度、あいつの所へ行こう……。出てこなかったら、ドアをブチ破って、あいつをぶん殴ってでも……。」
ヴァイオレット「いいえ……。」
ヴァイオレット「少佐を殴るのでしたら、私が……。」
(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』pp.134-135)
もはや説明の必要はないだろう。
このヴァイオレットのこれまで見せることのなかったドキリとさせるいささか場違いともいえる発言は、彼女が自分と会わないギルベルトにたいして向けたものではない。
ユリスが死すものとして存在すること自体への怒りなのである。
そしてここではじめてヴァイオレットは、これまでイノセントでしかなかったギルベルトへの想い、エロスが彼とともにユリスの死を招来したかもしれないことに気づいたかもしれないのである。(※もちろんキャラクター自身がそう感じているということではない。)
【第2節.承前 ユリスはなぜ死ぬのか?〈残酷〉まとめ】
【ⅰ】ユリスの死は物語の〈分岐点〉として、ヴァイオレットを〈分身関係〉と〈予示と反復〉の構造から解放し、ギルベルトへの裸身のエロスを全開にして高めるためである。
【ⅱ】
・ヴァイオレット≒リュカ、ギルベルト≒ユリスの〈分身関係〉はユリスの死によってその紐帯が完全に解かれる。
以後ヴァイオレット→ギルベルトの物語の核心へ進む。
・ギルベルト≒ユリスの〈分身関係〉が成立しているからこそ、ユリスの死は犠牲としての意味をもち、ギルベルトの生存と贖罪を可能とする。
・ヴァイオレットとギルベルトのエロスが相互に向いている以上、ユリスの死の責任はヴァイオレットのエロスにも混濁する。
(次章への導入として)
ユリスの供犠という〈残酷〉により、ヴァイオレットとギルベルトのエロスはその成就を〈不可能〉なものにする。
同時に〈奇蹟〉として(によってのみ)結びつく可能性が生まれる。
(連載第5回【第Ⅲ章.奇蹟篇 第1節.『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のいくつかの欠点?】に続く)
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