003.なぜ「自分をいたわる」か【前編】
すっかり前回の更新から間があいてしまったゆる田です。
覚えていて来てくださった方、ありがとうございます!感涙
前回は…スタエフをはじめてみたよっていうお話でしたね。
おかげさまで、ただいま着々と38回目(!)まで配信しました。
あたたかいリスナーさんだらけで、支えられ、救われています。
時々にゃごにゃご歌いながら、これからも配信していきますね。
さて、今日は、あらためて「自分をいたわる」をテーマとして発信したいと思った理由を少し…いや、だいぶ詳しく書いてみることにしました。長くなりそうなので、前編・後編にわけて書きます。
そのためにはわたしの歴史を少々話さないといけないので、まとめてみました。お付き合いいただけると嬉しいです。
1.幼い頃のわたし
いなかの大家族で初孫として産まれたわたし。
地方では”あるある”かと思いますが、周りからは「○○家の初孫」というように見られており、無意識に「しっかりしなきゃ」と思いながら育ってきました。きょうだいはいないのですが、年下のいとこたちと一緒に暮らしていたので、「いちばんお姉ちゃんなんだから」と言われていたし自分でも言い聞かせていたなぁ~。
家庭環境も少しばかり複雑だったり、感情の波が激しい親でもあったので、「怒られないようにいい子でいなきゃ」と思いながら過ごしていました。
幼稚園もあまり好きではなかったかな。当時のわたしは青色が好きだったり、男の子たちが好む戦隊モノが好きだったり(両方とも今も好き!)と、男の子たちと遊ぶ方が多かったんですが、そのころの先生は「ゆる子ちゃんは女の子たちと遊ぼうね」って毎回女の子のところに連れていかれてあわせて遊ぶのが嫌だったし、女の子の「何するにも一緒」っていうのが窮屈でたまりませんでした。
そのまま小学校、中学校、高校…と進学。本当は団体行動は好きではないけど、しょうがなくあわせていました。「協調性」「思いやり」などが求められる社会。なんとか自主的に(!)休みながらも学校には通っていましたが、窮屈で仕方なかったです。自分が本当にしたいことは抑えて、まわりに遊びやファッションすべてあわせていたように思います。家でも学校でも、どのわたしが本当のわたしなんだろう?って最初のうちは考えてたけど、どんどんわからないのが当たり前になっていたように思います。
2.大学に入学
大学に入って、授業やコースも自分で選択できて「ぜーんぶ友達と一緒」っていうのが無くなり、少しばかり楽になりました。でも、奨学金で通っていたので、バイトと勉強に追われる日々。昔抱いていた「女子大生」のイメージは一瞬にして崩れ去りました。笑
そして、先輩に誘われて断れないで入ってしまった団体の活動が忙しい。要領が悪く不器用なのもあってか、周りがうまく断っている大変な仕事も続々とわたしがやることになっていました。今振り返ると、やっぱりなかなか断れずに引き受けてしまうことも多かったです。
平日は授業に団体の活動・資格試験の勉強、土日や長期休暇はアルバイトという4年間を過ごしました。本当によくやった4年間だったと思います。今振り返ってみると、自分が好きで入った大学なのに、いつの間にかやらされている感があったかも…。
3.社会人になって
1社目は、一般企業に入社。自分の生活よりも仕事を優先。
早い段階でやりたい仕事を任せてもらったこともあり、常に「もっとがんばらなきゃ」「もっといいものを!」と思って働き続けていました。だから、一緒に働く同僚や後輩たちにも、そして自分自身にも今考えるとむっちゃ厳しかった。(前世だと思いたいくらいひどかった…)
その甲斐あってか昇進はするものの、どんどん仕事が忙しくなり、成果をあげるような部署へ異動異動…。やりたいことからはどんどん離れるのに、仕事は忙しいという状況に加え、家庭状況が最悪な事態に。常にいらいらしていたし、涙が出る日も多くなっていきました。でも、会社にはいい社員の方が多く、会社は好きだったんです。仲のいい同僚もいたし。それもあって毎日「がんばろう」と思って出勤していました。でも、ある日家庭がいよいよ危機的な状況に…。その時「これでいいのかな」ってふと考えたんです。仕事と家族や自分のこと…はかりにかけてみて退職を決意。
ここまできて、はじめて立ち止まったと記憶しています。通勤中に何度も貧血を起こし、駅でうずくまる生活が続いてやっと。笑
4.転職しての気付き
ずっとやりたかった仕事で求人が出たと聞きつけ、転職。
ここでは、いろいろな困難を抱えている方々との出会いが多く、自分を見つめなおすシーンが多くありました。たくさんきついことも言われたけど、すべて事実でした。「ゆるちゃんは偽善者だ」「ゆるちゃんのいい子にしてるところが嫌い」「本当のゆるちゃんを隠して生きている」…。
当時はグサッときたけど、残念ながらすべて正解!(ピンポンピンポーン)人を信じていないし、いつの間にか弱い自分を隠し続けた結果、当時の上司(この方と出逢って人生変わった)から「臭い物に蓋をしている」と言われるゆる田ゆる子になっていたのです。きつかったけど、今思い返せば、当時はっきり伝えてくれたのが本当にありがたかった!
結局、自分よりも相手を大事にしていると見せかけて、本当は自分も相手も大事にしていなかったのかなって思います。ここから徐々に何重にも着ている鎧を脱いで、自分を大切にする生活が始まるのでした。
すごく長くなっちゃいました…。
ここまでお付き合いくださった方がもしいらっしゃったら、ありがとうございます。感謝感謝です!
どんなふうに頑丈な鎧を脱いできたのか、そしていま大切にしていることについては、また後編でお話しますね。