PENCOB6方眼、ブラックサンダー
長女と次男を連れて少し遠いショッピングセンターへ。
フライングタイガーに行ってきた。世の中はクリスマスムード。昔から世界、社会の流れに乗れていない私はそうしたイベントにもっぱら興味がない。部屋を飾ったら可愛いんだろうな、とは思う。子どもも喜ぶかもしれない。が、なんでだろう。なぜか。いつからか。誰かを喜ばせたいと言う純粋な気持ちが私の中から消えた。いや違うか。喜ばせることに興味がないわけではない。多分。興味や好奇心が大きなものに流されるのが嫌なんだ。興味や好奇心はそのまま時間やお金というエネルギーを動かす羅針盤になるから。心が社会の流れに乗ると、本当に好きなことから意識が削がれお金の使い道を誤る。それが嫌なんだ。
シングルになってから、一度もクリスマスツリーを飾っていない。それはクリスマスをおろそかにしているということではなくて。希望通りのイメージしたツリーと出会っていないだけ。お店で見かけはするが、なんか違うと思うと買うに買えない。しかも、例えば形だけでもあればいいや、と思って買ったものなら。そのツリーとの別れは遅かれ早かれくる。今の私は、細く長く大切にできるものしかいらない!その場凌ぎのアイテムを買うくらいなら、あるものでなんとかしたい。つまり、今年もツリーなきクリスマスがやってくる可能性が高いわけ。
長女は鍵付きのノートと、先っぽにふわふわのファーがついたペンを購入していた。私は仕事用に、プラカバーの安いメモ帳を。その後、大きめの文具屋さんに移動して、プライベート用に欲しかったPENCOのノートを購入した。この差で、私がどれだけ仕事にエネルギーを割いていないかがわかる。自宅をほくほくに温める方が私にとって大切だ。職場をほくほくにすべきなのは社長や取締役。会社の持ち主の仕事だろう。最近はやけにその辺、冷めた目で職場をみている。私が頑張ったところで会社はほくほくにはならない。だったら適当に仕事してバイト代をもらえばいい。これが舐めた考えなのか、賢い選択なのか。わからない。けど、それでいい。つい頑張り過ぎてしまう私は、それくらい冷めてた方がいい。とにかく今は、大切な選択が差し迫ってきた感があって…大切じゃないものに意識を奪わせたくない。
そういえば、8月下旬でひとり親歴5年目に突入した。あっという間に4年経っていた。その間、何が成長しただろう。子供は明らかに体が大きくなった。靴も買い替えた。あるもので精一杯生きてくれている。のびのび、大きな病気もせず。じゃあ私は。仕事は1年半続いた。来年3月を目標に、今は頑張ってる。好きなことができる余裕も持てている。机に向かい、ブログを書いている。文具もまたコレクションできている。
けどね、なんか足りない。空っぽ感。虚無。埋まらない穴。欲しいものは本当に手に入っているのか?なんか違くないか?本当はさ、ご飯を一緒に食べる相手が欲しいよね。愛し、愛される相手が欲しいよね。互いの目に入れても痛くない相手。人前では出せない本来の自分が出せる相手。そう言う人が欲しい。なんでいないの?と思う。
それが子供では埋まらないことをこの4年で思い知った。まだ小さかった子供達が自分の寂しさを埋めていた「ような」気がしていたけど。だんだん彼らにも、彼らの穴があることがわかるようになってきた。ズバリ、彼らも愛すべき人と出会うために生きている。そのことにうっすら気づき始めた時、私がその道をふさぐ存在になってはいけないと思った。この道も間違いなく、私が愛する人と出会うための物語ではあるが。離婚してひとり親になって、その寂しさを感じることで、ようやく「愛する」ことに焦点を当てるモードに入れたのだろうか。
とにかく今、私は過去最高に自分を大切に思う。ここまでよく頑張ってきた。ゴリゴリの男性性で攻めて、傷ついて、弱音なんて吐かないできた。けど、自分を傷つける選択はもうしたくない。いや、そういう時もあるかもしれないけど。欲しいもの、したいことに正直でいたい。会いたい気持ち、話したい気持ち、自分の心に嘘をつきたくない。もっともっと自分に焦点を当てて。大切なことから目を離さないように。
ボディケアも、ヘアケアもジャーナリングも、子供の頃からの習慣。母にはバカにされてきたけど、この年になっても辞められないんだからきっとこれが私の好きなこと。自愛のルーティン。
願わくば、もっと旅行に行きたいし、好きな人に運転してもらって遠くに遊びに行きたい。彼の趣味に付き合ったりして、あたらしい世界も開いてみたい。創造的な波長の中で人との一期一会を楽しみたいし、それを糧に日々を暮らすのがいい。家族をほくほくにするためのパートナーと出会うのだ。
それが私から宇宙へのオーダー。詳しくはもっとあるけど。きっともうすぐ出会える。昂ってしまったが。明日からまたいつも通り。職場の人数減り過ぎて回らないだろうな…。完。