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「可愛い」に正直になれた日

38歳。人生3回目の地獄からの転生。
やっと、やっとのことで。「かわいい」を選べるようになった自分を知る。

子供の頃、私が選びたいものは全て母に却下された。かわいいスカートも、ヘアアクセも、バックも、メイクも何もかも。女性らしさのかけらもない母に「女々しい」だのなんだのって。とにかく可愛くしようとするとものすごい剣幕で睨まれて。

その評価は、そっくりそのまま自分の自己評価になった。おしゃれ欲、女子力は減退した。その代わり根付いたのが男らしさ、根性。ものすっごい人間になることを望まれ、文武両道のレールを走らされた。

その道中、もちろんキティちゃんやかわいいおまけ付きのお菓子にわき目を振ることは許されなかった。私にあてがわれたのは、試合で飲むビタミン剤とエネルゲン、カロリーメイト。服はジャージか男臭い短パンTシャツ。本当に嫌だった。

それが今や。母との人生から離れ、娘と過ごす比重が大きくなった途端。私は娘に「かわいい」の選択を推奨するようになり、その影響で娘も私に「かわいい」をお勧めしてくるようになった。スーパーで買った98円のグミは、サンリオとぺこちゃんのコラボ、98円。なんて安いんだ。娘が買っているのを見て可愛さに負けて自分も買ってしまった。昔、サンリオといえば私にはケロケロケロッピだった。お箸セットを持たされていたな。キティちゃんは女々しかったのか。持ち物に含まれていたことなんて一度もない。

今日、そんな買い物一つで、母を越えた気分になった。私はもう自分の好きなものを選び、好きな人と生きていけるのだ。母に言われた全てを盲信し、遠慮し、強く生きられなかったあの頃。何度も人間関係で挫け、負けた。自分の選択を信じられなかった。イメージの中で何度人生をリセットしようとしたことか。

けど。今は違う。信じるのは母じゃない。他人でもない。自分のハートなのだ。私がときめくことに手を伸ばし、ときめかないものには手を触れなくていい。それでいいのだ。娘がいてくれてよかったと思う。娘を「女の子」として育ててきたから、今その光が私に反射している。そういえば、今年の母の誕生日はマイメロのヘアブラシを送ったんだっけ。この前実家に行った時、洗面台に置いてあった。使ってるじゃん。母も母で、多分「かわいい」を選ぶことに罪悪感があったのかもしれない。けど、もういいんじゃないかな。

レミオ様のアルガン

今宵は少しトレーニングした。
お風呂ではカッサでフェイシャル。オイルはアルガン。ラベンダー精油がお供。そしてお風呂上がりにフットマッサージ。以前はゴリゴリ強めに流していたけど、最近は変えた。優しく肌にタッチする程度で、あとはイメージ重視。肌がつやつや、ふわふわ、ほっそり仕上がるように。イメージした形に手の波動で作り上げていく。自分に優しく触れるのは最近のこだわり。なにせ、肌も髪も小さい頃から雑に触れる癖があったから。多分「早く」とか「そんなことどうでもいいわよ」と母にそばで言われてきた影響なんだけど。

もうね、「どうでも良くないわ!」と今なら言える。自分に大切に触れられない人は家族のことも大切に触れられないんだからね!って。
幼い頃はボッコボコにやられたけど。私に落ち度があったわけじゃないと今はもうわかってる。だからそのことをどうこう言わないし、むしろこれから幸せな女になるのさ!と。それだけ。自分を懲らしめるような生き方は2度としたくない。これからもっともっと、ハートに正直に生きてみたいと思う。完。

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